オルタナティブ・ブログ > 大人の成長研究所 >

ライフワークとしての学びを考えます。

プレゼンの資料、プロンプター依存症の副作用

»


プレゼンやスピーチでは、手元に置いてある資料に目を落としてしまったり、スライドの文字を読んでしまったりしてしまいがちです。

どんな人でも、1時間以上に及ぶ講演のシナリオを完全に覚えるのは不可能。

だから、最近はオバマ大統領を初め、国内でも安倍首相や麻生太郎さん細川護煕さんなどもプロンプターを使用した演説が増えています。オリンピック招致のスピーチで滝川クリステルさんもプロンプターを使っていましたね。

ただ、普通の人が練習不足でプロンプターに頼り切ってしまうと、どうしても棒読みになってしまったり、視線が泳いでしまったり、言葉に気持ちが入らなくなってしまいます。

文章を確認しながらも、「読まずに」、アイコンタクトを外さずに、プロンプターを使っているのを誰にも気づかれず、あたかも自然に「今そこでこのストーリーが生まれた」のごとく即興性を持って語っているように演説をするのは、相当のリハーサルや経験を積んでいなくては出来ないことです。

オバマはスピーチライターの作った原稿を使っていますが、まったく自分の言葉のように自然に語っています。

それでは、もしシナリオがなかったとしたら、しゃべれないのでしょうか?

ある元大統領の話です。

国外での演説のためにスピーチライターに依頼していたシナリオが、アクシデントで使えなかったことがありました。しかし、その元大統領は、何事も無かったかのように、自分の言葉で見事に演説をやり終えたのです。
きっとオバマもシナリオがなくてもハイレベルのスピーチは出来るだけの力を持っているのだと思います。

本来、大統領にまでなるような人物は、シナリオがなくても、しっかり人前で自分の意見を話すことができる力を持っています。
何もなくとも話せる人が、より安定感を持って、演じることや、聴衆とのコミュミケーションに集中できるようなサポートとして使うのであれば、プロンプターも有効です。

指揮者の小澤征爾さんは、どんなに複雑なスコアでも、演奏会本番にはすべて暗譜で臨みます。
それを、欧米の超一流オーケストラの楽団員は高く評価しています。
ウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヘルさんは、小澤征爾さんが「どんな難曲も暗譜でこなすのには脱帽でした。」と語っています。
リンク→「プレゼントをカラシニコフ銃と勘違いされた指揮者」

つまり、身体全体で音楽を消化し演奏しているからであり、それが楽団員に伝わるのです。
ただ記憶力や暗記力だけが優れていても、人の心を動かすことはできません。

だからといって、譜面を置いている演奏家が、作品を消化できていないということではありません。
例えば、ピアニストのリヒテルは、晩年近くから暗譜をやめてしまった巨匠として有名ですが、本番で譜面がめくれないアクシデントがあっても、平然と弾ききりました。

ある有名な将棋の名人が90分の講演を事前に作ってきたシナリオをパーフェクトに覚えてお話なさっていました。
これは、名人の記憶力の凄まじさを物語るエピソードなのですが、実際の講演はどうだったのか?
もともとあるシナリオを読み上げているような実に淡々としたもので、こちらの記憶にはあまり残っていないというのが正直なお話です。

人の心を動かすには、プロンプターがあるかないか関係なく、その話し手本人に、どのくらいの語る力や表現力があるか、「人に伝えたい」という魂からこみ上げてくる燃えるような思いを持っているのか、というのにつきるのではないでしょうか。

もし、まだその領域までたどり着いていなくとも、人に伝わるプレゼンがしたかったら、正確さに執着するより、出来るだけシナリオに頼らずに、自分の言葉で語ることだと思っています。

Comment(0)