プレゼントをカラシニコフ銃と勘違いされた指揮者
日本経済新聞で4月21日から5回連載されていた「人間発見」は、ウィーン・フィルの第一コンサートマスターのライナー・キュッヘルさんでした。
その中でも、第3回と第4回には、キュッヘルさんが体験した指揮者たちとの思い出が書かれていて、とても興味深く読ませていただきました。
それでは、本日は、名指揮者の逸話を引用してご紹介いたしましょう。
・・・・・(以下引用)・・・・・
・カールベーム
演奏上の注意を受けて、若気の至りか、私は「自分の弾きたいように弾いて悪いのですか」と反論。すると激しいけんまくで「私の指示通りに弾くんだ」と厳命された。それ以来、ベームには尊敬の念を抱いて従いました。
・リッカルド・ムーティ
食事の最中にウィーン・フィルの楽団長をしていたウィルヘルム・ヒューブナーが私とムーティにデュエット演奏をやれとけしかけました。その場にあったピアノをムーティが、バイオリンを私が弾いて、グノーの名曲「アベ・マリア」を即興演奏。
・ヘルベルト・フォン・カラヤン
(キュッヘルさんが歯痛で演奏どころではないとき)カラヤンは私の手をとって「一体どうしたんだい」と声を掛けてくれた。私はカラヤンの優しさに触れたきがしました。死期が迫っていたことを意識していたのか、普段冷静なカラヤンが指揮をしながら涙を浮かべているのを目の当たりにして、もらい泣きしました。
・クラウディオ・アバド
リハーサルより本番に強い指揮者でしたね。ナポリ出身のムーティが南イタリア的だとしたら、ミラノ出身のアバドは北イタリア的な音楽作りの違いがありました。
・ゲオルク・ショルティ
ウィーン・フィルの変幻自在な演奏方法とはやや異なり、コンサートマスターとして苦労しました。レコーディングの最中でした。激しく振るので、指揮棒が二つに折れて、半分が手のひらに突き刺さってしまった。それでも中断せずに、自ら折れた指揮棒を手のひらから抜きながら指揮を続けました。
・レナード・バーンスタイン
マーラーの交響曲第五番のリハーサルをしていた時に「こんな演奏はマーラーではない」と怒って途中で帰ってしまった。後で分かったことは、前夜、チェロ奏者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチと飲み過ぎて、二日酔いだったので機嫌が悪かったらしい。
・小澤征爾
(ニューイヤーコンサートで)私は日本語で「新年おめでとうございます」と述べました。すると藩陽生まれの小澤が中国語で挨拶。翌朝の新聞は「キュッヒルの日本語が間違っていたので、小澤がすぐに訂正した」と書いてあったが、あれには参った。どんな難曲も暗譜でこなすのには脱帽でした。
・カルロス・クライバー
プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を演奏。4回公演の最終回に私は弦楽四重奏団の演奏会で出られませんでした。するとクライバーから届け物。バイオリンケースでやけに重い。カラシニコフ銃が入っていて「自殺しろ」という脅迫かと思ったほど。しかし入っていたのはバーボンのウイスキーセット。手紙もあり、「鬱状態になったら、飲んでください」という内容。彼なりの方法で私への感謝を表したようです。
・・・・・(以上引用)・・・・・
名指揮者が表に出さないような一面や、聴衆が知ることのないリハーサルでの場面を、キュッヒルさんならではの体験談を知ることにより、音楽がより身近に、より深い人間味をおびて聞こえてきます。
中でも、バーボンをバイオリンケースに入れるクライバーと、クライバーの音楽に完璧主義な性格から銃と勘違いしてしまうキュッヒルさんが面白い。
クライバーの演奏がさらに楽しめそうです。