誰かを上手に消すことが出来てもあなたにはそれなりの覚悟ができているか
子供の頃感じた、「何かを嫌いになる」、「何かがなくなればいい」という感覚。
心の底からわき上がってくるこの感覚は、何か見てはいけないもののような、触れてはいけないもののように感じていました。
そして、大人になっても、子供のときと同じように、またあの嫌な感覚がわき上がってくるのはなぜだろうと思います。
しかし、子供のときと違うことがあります。
それは、これは自分自身のエゴの声だ、ということが少しは見えてきているところではないでしょうか。
エゴはなくならない。
エゴがあるからこそ生きていける。
だからこそ、自分のエゴに気がついている必要があるのだと思います。
宮部みゆきさんの「火車」。
カード社会の犠牲者である美しい女性主人公は、自分を守るために、自分の存在を消すために、上手に人の人生に乗り変わる。
社会に対する恨み、怒り、そして想像を絶する体験から人生観までが崩壊してしまう。法を犯し、人を殺めることも厭わない。
しかし、上手く乗り変わったように見えた人生は「火車」であったのです。
火車とは巡りくる地獄の火の車。
運命の車から一度は降りようとし、一度降りた。しかし、乗り変わった女性は、またその車を呼び寄せる。
その悲しさと恐ろしさが、書き手である宮部さんの主人公に対しての強い共感を感じられる部分です。そして、見事に心の闇を奈落の底までえぐり出し、しかし、真の悪人はいないのだという救いが、この作品の品格を高めているのだと感じます。
これは、宮部みゆきさんの描く、一環した悪の姿。
宮部さんの絵本、「悪い本」でも、
「いちばん 悪くなったなら なんでも できるようになる」
「きらいな だれかを けすことも」
「じょうずに じょうずに」
と書かれていて、まさに原点ではないかと思いました。
この絵本を読んだあとの「火車」は、想像力をかきたてられ、背筋がゾクゾクと寒くなってくるように感じます。
なぜか?
「けす」って人を殺すことだけじゃない。
人を、きれいに、上手に、消すことが、普通の社会で、まことしやに行われていないか?悪いことをしている意識などなく。
・・・という思いがわき起こってきたからです。
「人を呪わば穴二つ」と言われます。
人を呪う時は、相手の分と自分の分、二つの墓穴を掘っておけ、という意味。恨みや呪いは自分に必ずはねかえって来る。激しい怨念を抱いて誰かを呪うならば、それくらいの覚悟が必要だということです。
地獄の火車はまた巡ってくるのです。
「火車」の、最後に向けて加速するスピード感。
謎の答えがすごい勢いでカチカチと音をたててはまっていく快感。
そして、待ち受ける息をのむラストは、目の前に光に満ちた映像があふれ、じつに美しい。
こんな見事な幕切れがあるとは。
最近読んだ本の中で間違いなくベストワンです。
読後に深く考えさせられる、エゴを見つめる力。
そして、人生に感謝する力。
それは、つらく、難しい。
でも、エゴがあるからこそ、人生を生き抜くことができる、素晴らしい人生を感じることができるのだと、再確認することができました。
宮部さん、有り難うございました。