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ライフワークとしての学びを考えます。

文章は読んでもらえなければゼロ タイトルは本文と同じくらい考えろ

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3月31日にITmedia エグゼクティブ勉強会リポート記事「『んっんっんっんっ、おぬしも悪よのう』──悪代官でボイストレーニング」が掲載されました。

そのとき、一番考えたのは、もし自分がこの記事を任されたとして「『んっんっんっんっ、おぬしも悪よのう』──悪代官でボイストレーニング」というタイトルをつけたかどうか?です。ここまで大胆にやっていただけると、かえって気持ちよく、ある種の爽やかささえ感じます。「参りました」という感じです。
私だったら「あなたは横隔膜を使ってますか?良い声を出すために〜」みたいな、もう、どうでもいいような凡庸で、無難なタイトルで落ち着いたと思います。


ここで、私は、齋藤孝さん著「誰も教えてくれない人を動かす文章術 」(講談社現代新書)の一文が鮮やかに頭によみがえってきました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

文章においては、凡庸さは恥です。結果としての凡庸さはある程度しかたがないとしても、せめて「凡庸さは恥」だということを肝に銘じておきたい。

読者は、この珍しい「章タイトル」を頭に入れながら読み進め、本文中で同じ言葉に行き当たると「キター!」という感覚に襲われます。自然に宝探し的感覚をもってグイグイ読み進めてしまうのです。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・


私の場合、大抵は、ブログで本文を書いたあと、タイトルを考えます。
タイトルが先に思い浮かぶこともありますが、そんなことは滅多とありません。
しかし、本当にタイトルはいつも頭を悩ませます。
本文は書き終わったけど、タイトルが思いつかなくて、数時間アップできないこともあります。
なぜかというと、やはりどんなに頑張って文章を書いたとしても、タイトルが冴えないと見向きもされないからです。
 
 
書店を見ても思います。
刺激的なタイトルで手に取ってみたけれど、タイトルの内容は「ほんの少し」しか触れられていなかったり、また、極端なものだとタイトルの内容が最後まで出てこないという怖いもの知らずの猛者もいます。でも、結局「このタイトルはどこかな?どこかな?」と最後まで読んでしまうのです。上手いと思います。
しかし、よく考えてみれば、タイトルが良くなければ、私は本を手に取ることさえありません。これは、完全にタイトルをつけた人の勝ちです。
滑ることを恐れて無難で平凡なタイトルにするか、魅力的なタイトルをつけるか、で大きく違ってくる事を実感しています。
 
 
 
今回の記事、内容をしっかり咀嚼し的を得ていて、しかもキレッキレのタイトル、さすがと思いました。
記者さん有り難うございました。

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