オルタナティブ・ブログ > 大人の成長研究所 >

ライフワークとしての学びを考えます。

良い指導者でも組織が発展するとは限らない

»


私は、今までたくさんの指導者に出会ってきました。
有り難い良い指導者との出会いが、今の自分をここまで成長させていただけた、人生が変わったと思えます。
それでは、どのような指導者が良い指導者だったのでしょうか。

例えば、指揮者について考えてみると、ある指揮者は団体の取り扱いかたが上手で、とても良い指導をするので、一見良い指導者に見えます。しかし、その方が来ると不思議なことにどこの団体も成長しないのです。
皆は楽しそうにやっているのですが、それは言うべき事を言わない表面的な楽しさであって、本人たちの成長がありません。
そうすると成長を求める志のある方々はいつのまにか静かに去っていくのです。そして残った人たちは、同質化し、少しずつ成長しようとする空気がなくなります。
楽しく、良かれと思って指導しているので、指揮者には悪気は全くありませんし、それでどころか善意に満ちています。しかし、組織の根は気がつかないうちに少しずつ腐っていきます。



それでは、良い指導者とはどんな人のことを言うのでしょうか?

私が良い指導者だと感じた人がいます。
一般的に言われる指導の知識や志を持ち、言うべき事を言い、場合によっては厳しく指導する、ということとは別に、大事な資質があると感じています。

それは、心の深くに持っている信じる思いです。
「この方は、無限の可能性がある。」
表面に出なくても、無意識にそう信じている人の言葉からは深い安心感が伝わってきます。

よくあるのが「君たちは出来る!」と強く叱咤激励してくれているけれど、どこか信じていない雰囲気を感じる人がいます。
そうすると、やはり、それは言わている人たちには必ず伝わります。

私は、自分が人を励ましている、指導している、という立場のとき、【自分は本当に心からこの方の可能性を信じているのだろうか】と常に問いかけています。デキの悪い私の可能性を、どんなことがあっても信じて支え続けてくださったあの方々のように。

どうしたら、人の可能性を信じられるようになるのか?

その答えは自分の中にあるような気がします。
「自分は自分の素晴らしい可能性を心から信じられているだろうか?」
自分が信じられない人間が、人の可能性を信じられるわけがない。

これからご縁あって出会う素晴らしい方々と、自分のために。
心の奥底にあるポジティブな思いを大切にしていきたいと願っています。

Comment(0)