言葉を越えたものが伝わり思わず人が淹れたコーヒーを飲みに出かけたくなる
今までコーヒーはあまり飲みませんでしたが、最近、家でもコーヒーを飲むようになりました。
それは、我が家に一杯抽出型コーヒーメーカーがやってきたからです。
料理は自信があるのですが、コーヒーだけは上手に淹れることができません。コーヒーの淹れ方を調べて、その通りやってみても、まずいコーヒーしか出来ず、インスタントのほうがまだマシ。どんなに良いコーヒー豆を使ってもムダになってしまうので諦めていたのです。飲みたくなったら近所の喫茶店やコンビニにわざわざ行っていました。
しかし、この一杯抽出型コーヒーメーカーは、どんなときでも安定した味でコーヒーを淹れてくれるので、少々割高ですが、心は平静でいられます。
好きなパン屋さんの厚く切った「角食」に発酵バターをのせて、安定したコーヒーがあれば、とりあえず満足。
・・・・とは言うものの、上手な人が心をこめて手で淹れてくれたコーヒーにはかないません。
どうしたら、あんなに美味しく淹れられるのか。魔法のように感じます。
京都のカリスマ的コーヒーロースター、オオヤミノルさんと、コーヒーの巨匠たちの対談集「美味しいコーヒーって何だ?」(マガジンハウス)は、私にとって最高に面白い本。
鹿児島「ヴォアラ珈琲」の井上達也さん、鎌倉「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」の堀内隆志さん、青山「大坊珈琲店」大坊勝次さん、3人の巨匠たちとの、熱く、深い対話が起こる様子が淡々と描かれています。
若きカリスマ(オオヤさんは1967年生まれですがこの世界では若手)、オオヤさんは、3人の巨匠と会い、自分が信じてきたコーヒーに対する価値観を覆され、こてんぱんに叩きのめされます。その様子をここまで忠実に描かれた本の出版を、有名になっているオオヤさん自身がよくOKしてくださったと感謝したいほどです。
この本の編集をなさった岡本仁さんの見事なところは、オオヤさんとの「真剣勝負」の対談のあと、3人の巨匠たちそれぞれに「オオヤミノルとの対談から時間を置いて思ったこと」と題して、短い単独インタビューをしている点です。
オオヤさんを最初に叩きのめし、それでも食らいついてくるオオヤさんと、計二回もの真剣勝負をした井上さんが、オオヤさんについて語っている言葉が印象的でした。
・・・・・(以下引用)・・・・・
ぼく自身も昔は、オオヤさんみたいにああいう形でがっつり相手に食らいついていろいろ聞いてたんだな、と懐かしく思いました。やっぱり彼は深煎りのことを言いたかったんだと思います。「深煎りも美味しいですよね」っていうのを強引に「認めてほしい」というところがありました(笑)。
(中略)
オオヤさんが羨ましいですね。ぼくはもう、自分の思いとは違う形で会社が、まあ小さいんだけど、大きくなりすぎたっていうか、スタッフを雇って、雇用も含めてきちんとしなきゃという規模になってしまったので。まあ好き勝手はやっているんですが。オオヤさんには、あのまま突き進んでほしいですね。
・・・・・(以上引用)・・・・・
本文で井上さんはオオヤさんに対して言葉丁寧に厳しく仰っておられましたが、それはオオヤさんを見込んでの厳しさだったのだと分かります。
一流の人たちというのは、真摯な姿勢で学ぼうとしている人には、損得勘定なしに自分の領域まで引き上げようとなさる。
他二人の巨匠、堀内さんや大坊さんも、オオヤさんに甘い言葉など一つもかけません。コーヒーに対するピュアで妥協のないまなざしをもって、オオヤさんに率直に厳しさと信念を持って語りかける。
3人それぞれが、「オオヤミノルとの対談から時間を置いて思ったこと」で、オオヤさんという人間に対して、あたたかいエールを送っておられるのを読むと、この本の一番大事なところは、蘊蓄やコーヒーの味より、この部分にあるのではないかと感じられます。
人が人に言葉を越えたものを伝える素晴らしさ。
オオヤさんとの厳しい対話のあと、巨匠たちの言葉を読むと、心の中に爽やかな風が吹き抜けるような気がします。
私は、この本を読んでいて、自分に音楽のことや人生について大事なことを教えてくださった方々、一緒にお仕事をさせていただいた方々のことを思い出さずにはいられませんでした。
しかし、飲んでくれる人のために背中を丸めながら心を込めて一杯のコーヒーを淹れる人の姿とは、なんて魅力的なんだろうかと思います。
一杯抽出マシンは家に置いて、こだわりのコーヒー店にコーヒーを飲みにいきたくなる。
そんな本です。
*「大坊珈琲店」は2013年末で閉店になったそうです。またどこかで美味しいコーヒーを淹れていただきたいですね。(2014/o1/27追記)