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三善晃さんの体験が人生を変えた

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2013年10月4日、作曲家の三善晃先生がお亡くなりになりました。

私の最初の「三善体験」は児童合唱団で、こどものための合唱曲集「光のとおりみち」を歌ったときのことです。

フランス音楽に通じる夢のような響きが子供には新鮮でした。そしてピアノ伴奏の素晴らしさ。歌詞は分かりやすいのですが、音だけが完全の「大人の世界」なのです。酒の味を初めて知った子供のように一度でとりこになってしまいました。

あんまり素敵なので学校の友達と一緒に歌いたくなりました。小学校のクラスメイトと一緒にこの歌を歌おうと練習しましたが、なぜか上手くいきません。子供心に、なんで児童合唱団では歌えるのに小学校では歌えないのか疑問でした。今思えば、児童合唱団は全員オーディションを経て入団しているので歌えたのです。経験も指導力もない私と、何もやっていない子供たちが遊びで突然歌っても、三善先生の作品は手に負えるものではなかったことが、子供時代の自分には理解できていませんでした。

当時は、「こんな素晴らしい音楽があるのに、みんなでこの素晴らしさを共有できないのは残念だなあ」と思いました。


三善先生の記事が2013年11月15日の日本経済新聞「追想録」にありましたので、引用してご紹介いたします。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

指揮者、沼尻竜典氏の最初の「三善体験」は、中学のとき聴いた子どものための合唱組曲「オデコのこいつ」。飢えに苦しむアフリカの子がおでこに住み着く、恐ろしい曲。強烈な戦争体験をストレートにではなく、子どもの歌で伝える。沼尻氏は「すごい歌と身震いした」。桐朋学園大学で作曲を三善さんに指事。「あまり怒らない先生だったが、何か妖気のようなものが出ていた」。キャンパスを歩くだけで存在感は十分。「はったり一切なしの音楽家だった」
桐朋などで13年間、指導を受けた作曲家の杉山洋一氏も「先生が廊下を通っただけで感激する」生徒の一人だった。楽譜を見てもらうと「ここはコントラバス一本で十分だよ」などという一言が曲を魔法のように変えた。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・


私は、この「三善体験」と小学校のときの原体験が、今の社会人合唱団の指導や、企業研修「合唱チームビルディング」につながっているような気がしています。三善先生に導かれたのかもしれませんね。


素晴らしい芸術家がまた一人この世を去りました。
心から冥福をお祈りいたします。
三善先生、有り難うございました。

*2013年11月16日22:45 「けんかならこい」の歌詞を削除しました。

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