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ライフワークとしての学びを考えます。

不器用さはプレゼント 世界は点で出来ている

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パソコンの使い方を教えてもらったことがあります。
教えてくださる方は、経験豊富な方でした。
 
丁寧に教えてくださるのですが、「ここをこうして・・・このShiftキーを押して、こうすれば簡単にできる」と、パッパと目の前でやってくださるのですが、パソコンのキーボードをよくみるとShiftキーは2箇所あるし、手の動作が速すぎてついていけないのです。
 
「もっとゆっくりお願いします」
そう言うと、なぜこんなことが分からないの?というような表情です。
そして、もっとゆっくり、もっとゆっくり・・・とお願いすると、体で覚えてやっていらっしゃるのでしょう、ゆっくりすぎて分からなくなってしまったようです。教える方が「あれれ・・どうだったけかな?」という場面もチラホラ出てきました。
そして、同じことをするにも、いろいろな「手」があり、「こうもできる」「こういうやり方ですることもできる」と、親切に「もっと簡単にするための裏技」のようなことまで教えてくださいます。そうすると、ド素人の私は、一つの「手」を覚えるだけでも大変です。
 
もうずいぶん前でしたが、和服の着方を習ったことがあります。
教えてくださる方は一生懸命やってくださって有り難いなあと思ったのですが、不器用な私にはあまりに素早くてついていけません。一つ一つの所作に対して「今、どうなさいました?」「ここはどうしてこうするのですか?」とこちらが常に質問しなくてはならないほどだったのです。そして、いつも直感でやっていらっしゃるせいか、ゆっくりすぎると手の動きが止まってしまい「あれ?どうだったっけな?」首をかしげてしまうのです。
「もう一度自分でやってみなさい」となると、私はまったくのお手上げでした。
 
このときあらためて感じたのですが「教え伝える」、ということは難しいことだということです。
 
その道を深く究めた方というのは、難しいことでも簡単に教えるといわれています。
 
実家に、子供向けの生き物辞典シリーズがあるのですが、今見ても大変良く出来ています。簡単なようでいて、じつは深いことが書かれていて、感心してしまいます。どんな人が書いているのかと著者をみれば、その業界では大変に高名な方が書いているのです。
この辞典のおかげで、私は自然のことに興味を持つようになりました。
 
このことから、一つ一つのことを深く知り尽くしていなくては、人に伝えることは簡単なことではないことが分かります。
 
そして、もう一つ、簡単なことが要領よくできない人ほど、深く学べるということに気がつきました。
 
そういう人は、自分が勉強するときに、どんな動作でも「ここはどうしてこうするのか」「こうすればこうなるのか」と、器用な人がすぐに出来てしまうようなことでもつっかかり、一つ一つクリアしなければなりません。
それは一見損なことに思えます。
でもそこで、実は、大きな学びをしているのです。
 
簡単なことでも出来ないと「なんて自分はダメなんだろう」と思うのですが、反復して出来るようになると、見える景色が変わります。景色が粒子のように見えます。それはまるで絵画の点描のようなのです。
どうでもよいような簡単なことに深い意味を感じるようになるのです。
そうすると、人に教え伝えるとき、所作を揺るぎなく言語化することができます。
 
不器用さとは、もしかしたら神様からのプレゼントなのではないか?と思う瞬間です。
 
不器用だから、自分はバカだから、そう思って落ち込むことはないということです。
出来ないことにチャンスの芽がかくれています。

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