存在を消して、いるのかいないのかわからないことが運気を呼び込む
「最近は、人の集まりにうかがっても存在感を消すようにしている。いかに”でくのぼう”のように立っているかというのが理想なんですよ。しかし、そういうときに、名刺交換にスッといらっしゃる方とは良いご縁がある」
ある高名な方がおっしゃっていたことを今でも覚えています。
こういう方でしたら、ただ普通に立っているだけでも放つオーラが違うので、さぞかし様々な人が寄ってこられて大変ではないかと思われます。
その話を聞いたとき、存在感を消す、などということができるのかと思っていました。
「雀鬼」とも呼ばれる桜井章一さんの本「運を超えた本当の強さ」は、将棋の羽生善治さんとの対談集です。
その中で、柔術家のヒクソン・グレイシーのことを語っていました。
ヒクソンはボディガードを連れているそうです。桜井さんがヒクソンの泊まっているホテルの部屋に行ったときも、一人のボディガードがいました。そのボディガードを一目見て「こいつはできるな」と感じたそうです。
普通、ボディガードは相手がおかしなことをしないように自分の存在感を示すのですが、彼は、たたずまいが違ったのだそうです。
ヒクソンのボディガードは自分を消していた。
桜井さんは「『攻撃』と同時に『受け』ができる人」と見抜きます。
「矛盾しているようでも、相反するものを同時に出せるのがいい」と言います。
そして「勝負に臨む一番良い状態は場に溶け込んでいるとき」だということです。
桜井さんは「陽炎打ち」と呼ばれるほど存在感を消して、麻雀を打つのだそうです。出来る人との勝負では、お互いに存在感を消しあっていくのだとか。
名人のレベルになると、存在感を消していても無言の会話で、相手がどれだけ「できる」のかわかるようになるものでしょう。
麻雀は運気のもの。
自分の存在を消すことで、体の動きが本来のものに戻り、人間が本来もっている野生の直感がとぎすまされ、運気もめぐってくるのだと思います。
力量のない者が、それを真似しようと思ってもすぐにできるものではありません。
しかし、ある高みにいくと、場に溶け込み、存在感自体をも消していくというレベルがあるのだということを知りました。
見えるものだけを見てはいけない、見えないものこそに意味があるのだということを教えられました。