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ライフワークとしての学びを考えます。

出来ないものは出来ないと言ってほしい

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ピアノは、良い演奏のために、良い調律師さんの存在なしには考えられません。
自分の楽器を持ち込めないので、限られた時間でそこにあるものでなんとかしなくてはなりませんし、特に初めてのところですと、予想しないことが起こったりします。
 
問題があったとき、プロの技術者で優秀な方ほど、出来ないものは出来ないと言います。そして、なぜ出来ないか、代わりに出来るところはどこか、カバーできるところはあるか、をわかりやすく説明してくださいます。
 
出来ないことを、「頑張ります」とおっしゃってくださっても、お気持ちは大変有り難いのですが、最終的に出来ていないことが本番直前に分かると、対策や心の準備が間に合いません。
 
これは、何でも同じことだと思います。
 
自分に出来ることと出来ないことを誠意を持って相手に伝えることが、良いサービスであり、プロとしての仕事なのではないでしょうか。
 
以前、ジュエリーのリフォームをお願いしたことがあったのですが、少し難しい注文をしました。ただ、こちらは素人ですので、出来るか出来ないかわかりません。出来なかったら諦めるつもりで相談しました。そうすると、「いかようにも」とおっしゃってくださり、綿密な打ち合わせをして希望をお伝えし、楽しみに待っていたのです。
 
しかし、出来上がりは、リフォーム前の方がまだ良かったかなと思われるような残念な結果になってしまったのです。
装着していても常に裏が見えていたり、やはり技術的に難しかったようでした。
でも、口が裂けても「難しかった」「出来なかった」とはおっしやらない。
これもまた一つのプロの姿であり、プライドなのかもしれないと思いました。
 
再リフォームをしてもらいましたが、やはり満足のいく結果にはなりません。結局、ジュエリーは元の姿に戻してもらいました。
 
「お客様は神様です」
 
と言う言葉があります。
 
しかし、私の考えですが、出来ないものは出来ないと言ってほしい。
自分が出来ることと出来ないことを判断し、サービスを提供することもプロの姿だと思うからです。
 
神様だと思って、お客様の言いなりになったとしても出来なかったときに信頼性が落ちるからです。何でも出来ると言って何も出来ないのと同じになってしまいます。
 
私の気に入っているブティックがあります。なぜ気に入っているかと言えば、それはそこの店員さんが信頼できるからです。
洋服を選ぶとき、「これはあなたの雰囲気ではないかも」と、おっしゃってくださり、それがまた正しい。成績を上げるためでしょうか。似合わないものも「似合う、似合う」と言って買ってもらおうとする店員が多い中、新鮮でした。私は、以後そこのお店でしか買わないようになりました。似合うものが入荷すると取り置いてくださり、着てみるとやはり似合うのです。
 
それでは、自分がその立場になったとき、「出来ない」「似合わない」としっかりと言えるだろうかといわれれば、これは結構難しいことだと思えます。
 
真のお客さん主義とは、「出来ないものは出来ない」「似合わないものは似合わない」としっかり判断できる力のあるプロのサービスではないかと思っています。

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