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ライフワークとしての学びを考えます。

これって美しいか美しくないか

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「綺麗ごとばかり言って」と言う言葉の使い方があります。
 
「音楽は、綺麗であってはならない」
と子供のころから教えられました。
人の魂がこもるということは、必ずしも「綺麗」なことばかりではない。
綺麗なものは人の魂に訴えかけることはない。
 
また「善悪で判断しろ」ともよく言われます。
 
しかし、「地獄への道は善意で敷き詰められている」。
 
自分が善いと思ったことを他人にもしてあげる。
これは、一見素晴らしいことのように思えますが、その人の真実があります。テロも、戦争も。善意は他人にとっての善意とは限らないことは世の中にたくさん起こっています。

ベートーヴェンは、交響曲第三番「英雄」を、市民の味方、ナポレオンに捧げようとして作曲していました。しかし、ナポレオンが王位に就いたとたん、烈火のごとく怒り、直筆の譜面には、「ナポレオンに捧ぐ」という文字が、紙が破れるほどの激しい勢いで消されています。
 
これは、ナポレオンが悪いというわけではなく、そこにはナポレオンの真実があり、そして、ベートーヴェンの真実があった。
 
ソニーとDeNA、創業期の「引き抜き」事件 「欲で経営をしてはいけない」
 
という記事を読んで様々なことを考えさせられました。
 
その中に、興和の社長であった三輪緑四郎さんが語った、
『子どもの頃から善悪の判断ができるようになっていることが大切。善悪の判断ができないと経営者は失敗する』
ということばが印象に残りました。
 
善悪とは主観の問題であり、正義感にたどりつく。
盛田さんも、三輪さんも、20名も、それぞれの真実があり、善悪では判断できなかったのだと感じました。
 
ではどのように判断したらよいのか。
 
私の考えでは、美しいかどうか、かもしれません。
 
人の基本的な判断は子供の頃の体験が大事なのは三輪さんのおっしゃるとおりです。子供の頃から、美に対する意識や感性を磨いていくことなんだと思います。
 
私は、子供の絵本で「泣いた赤鬼」をよく読んでいました。
 
青鬼は自分の美意識から、友人の赤鬼に仁義をきって、赤鬼のもとを去るのです。
 
美しいか、美しくないか。
何かの大事な判断をするとき、この規準を持つこと・・・いや、持てる感性を育てることが、よい人生をひらいていくことになるのではないかと思っています。

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