自分探しとは何か 自分を探すと聞こえてくる言葉がある
「自分探し」という言葉を良く耳にします。
ドイツに行ってドイツ音楽の重鎮と言われる先生に師事したときのこと。その先生は、歴代のベートーヴェンの流れを汲む方で、ベートーヴェンのピアノソナタの校訂版も出されている方でした。
緊張とワクワク感の中、最初のレッスンが始まりました。
「puls」
(pulseのこと。)
何度もおっしゃり、拍にあわせて手を叩く。
そして、休符の長さ。
音の長さ。
音の強弱。
強い音の指定があれば、それを最後までしっかり弾かせることに専念する。
楽譜に書いてあるスラーやフレージングを吟味する。
気がついたことがありました。
先生のおっしゃることは「楽譜に書いてある通り」なのです。
それを愚直にとことんまで守ること。
ドイツに来て学んだことは「楽譜に書いてある通り」ということです。
作曲家の言っていることを忠実に守れということです。
本当に細かいところでは、例えば、現代とベートーヴェンの時代とは楽器の性能が違うので、耳で判断しながらコントロールしなくてはならないことなど。あとは先生独特の指使いなど、楽譜にはないアドバイスもありますが、それは大いに参考にはなれど、最終的には自分で追求すれば変化してくるところです。
ただ音の長さや休符を守れといっても、簡単なようでいて、先生が弾くと誰にも真似できない。
それは、すでにこの世にない作曲家に愛されるほどの、先生の人生観と人間力の世界でした。
巨大な魂。あのドイツの中において第二次世界大戦をも経験してきた、死生観。その重厚な人生観。
音の無い休符に感情を込める。
音の長さに魂を込める。
それは、その人の人生観でしかない。
それ以上にもそれ以下にもならない。
それを思い知ったのです。
今、欧米で最も人気のある若手ピアニスト、ラン・ラン。
ラン・ランは中国で生まれ、中国で音楽教育を受けた、最近の中国人ピアニストが歩むスタイルをとっているピアニストです。
ピアニストであり指揮者でもあるダニエル・バレンボイムのレッスンを受けているドキュメンタリーを見たことがありました。
バレンボイムは、現代ではあまり見られないグランドマナーの演奏スタイルを持ち、伝統的なドイツの作品を得意とします。
バレンボイムは、すでにスターであるラン・ランに対して、始終「pulse」と繰り返し、手をたたきます。強弱を守れ、楽譜に書いてあるフレーズ感を考えろ、音の長さをもっと正確に・・・。ラン・ランほどの才能を持ってしても、なかなか思い通りにはいかない。しかし、演奏は引き締まり、素晴らしくなっていくのを目の当たりにしました。
同じではないか。
そう思いました。
大事なことは楽譜にある。
ベートーヴェンが書いている。
ドイツに行けば、ドイツ音楽が上手になるはずだ。
ピアニストとして、自分が素晴らしく成長できるはずだ。
しかし、それは、外に求めた自分探しだったのだ。
本当の自分探しは自分の中にある。
人生を重ねる、様々な体験をする。
苦労や困難や挫折が自分を磨き上げる。
そして、楽譜から、以前より、多くの言葉が聞こえてくる。
それこそが自分探し。
それこそが、共感力ではないだろうか。
今では、そう思えます。