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ライフワークとしての学びを考えます。

心に飼っているざわめきが集中力を破壊する

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「フェイスブック、ツイッター、ほとんどしないから。」
最近、音楽家の友人に会ったときのことです。
そして「最近の演奏は騒がしいね」と言うのです。
 
現代は過剰な音があふれていると思います。
本来静かであるべき電車の車内においても、たくさんの人がヘッドフォンで音楽を聴いている。
そして、携帯やスマホでのツイッターやフェイスブックも、物理的に音は出ていませんが、これもまた心の音ではないかと思います。多くの人が、孤独や不安を紛らわそうとしているように感じます。
 
私もその気持ちはよく分かります。
 
一度、ソーシャルメディアにはまってしまうと、なぜか加速化していきます。口は動いていなくても、常に心の中はせわしなくおしゃべりしている。いつも誰かとつながっているという安心感。それ無しにはいられなくなるのです。「心のざわめき」を飼い育てているように感じてしまうほどです。
 
IT企業に勤める友人と海外に行ったときのことです。
休みを取っているにも関わらず、「会社のメールが気になる」と言い、インターネットが接続できるところに無理して泊まり、そして、それが終わってもういいのか思うと、今度はソーシャルネットに夢中になっている。大自然の中にいても、古代の歴史を感じられるような場所にしても、荘厳な雰囲気の美術館の中でも、一流レストランでも、日本からのメールやソーシャルでのやりとりが気になる。
心の中の騒音が一瞬たりとも静まらないのではないかと、心配になってしまうほどでした。
 
こういった現状を見ると、自分の中の静寂を持ち難い世の中になっているのは当然かもしれません。
 
 
以前、満点の星と、北アルプス穂高の山々を見上げる、涸沢カールの真中の立ったときのこと。大自然に抱かれ、魂が奪わました。言葉もない。感情もない。時間もない・・・。そんな、ほんの一瞬を感じたときがありました。
 
静寂の持つエネルギー。
 
この自然は、太古の昔よりこの永遠に続く静寂の一瞬を持ち続けていた。
 
私は、この圧倒的な沈黙の中にたたずみ、自分の存在を超えて、過去と現在がつながっているのを感じました。
 
 
いつも意識しているからこそ、心に静寂を持つ方にお会いすると、佇まいや雰囲気から、その存在を余計に感じてしまいます。
そういう方は、黙っているときは、一見おとなしく、地味になさっている場合が多く、目立ちません。しかし、一度、プロとしてのモードに入ると、誰もが及びもしない深い世界を見せてくださる。
沈黙を持つ人物が少ない今だからこそ、その存在は圧倒的なのです。
 
 
友人の言う「最近の音楽は騒がしい」。
それはなるべくしてなったのではないかと感じられます。

自分の経験で言うと、心がざわざわしているときに、物事に集中できることはありません。また、常に騒がしい状態にあると、ここ一番の大事なときに心が静まらず、深い集中力を発揮できません。いくら普段より集中力の訓練をしていようと、この破壊力に抗うのは至難の技であると感じます。
 
そして、「心の中に静けさを持たない者が、人にどうして癒しを感じていただけようか?」ということです。
 
音や情報の恩恵に恵まれるこの現代だからこそ、心に静寂を保ち続けることを意識していかなくてはならないと思わされます。

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