全員責任とは集団的無責任
責任とはなんだろうか。
すべての問題は、繰り返し問い続けると自責に行き着く。
よく「なぜなぜ5回」と言われるが、そんな回数ではない。
もう何百回問い続ける。
その道の途中では、他人のせいにしたくなる。
何かの偶然のせいにしたくなる。
それでも、やはり、たどり着くところは、自責でしかない。
そして、他人は変えられないことに気がつく。
それならば、自分が変わらなくてはならない。
責任は、集団でとるものではない。
一人の覚悟した人間が最後に一人でとるもの。
身震いするような孤独の極みになろうと、それが責任を取る者の役目。
前総理、野田佳彦さんが、交代のとき、現総理大臣の安倍晋三さんにおっしゃった言葉が印象的でした。
「あなたは以前(総理を)やったことあるから分かると思いますが、総理大臣たった一人だけにかかる外国からの厳しい圧力があります。」
責任の重さとはトップになればなるほどかかるのは当たり前・・・なのかもしれません。
しかし、私個人は、この日本にいて、どれだけのことを考えられているだろうか。今の状況を当たり前だと思っていないだろうか。
元総理の言葉から、決して堅牢無比な地盤の上に立っているのではないことを知るのです。
田坂広志さんの公式サイト「風の便り」
静謐な空気感に満たされて、読んでいると心が癒されてきます。
いつか行った新緑の信州北アルプス。
清らかな谷川のせせらぎが聞こえてくるようです。
その中で「無責任」について書かれていらっしゃったのが心に残りました。
あるフランスの村で、お世話になった牧師さんが別の土地に赴任するというので、村人全員が大事なワインを一杯ずつ持ち寄って樽につめた。しかし、牧師さんがその樽をあけてみたら、それはワインではなく水。村人たちは、自分ひとりくらい水を入れても分からないだろうと思ってしまった結果がその樽の中身。
それを田坂さんは、「全員責任」を標榜する人間集団から、なぜか、「集団的無責任」が創発してくる、とおっしゃっています。
今の日本を象徴しているようで、ずっしりと重いものを感じました。
自分自身がいつこの村人になるかもしれない。
・・・・いや、もうなっているのかもしれない。
深く考えさせられました。