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ライフワークとしての学びを考えます。

なぜ人は良くないと思いながら黙って去るのか

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人前で自分の考えや表現を発表するということは、おかげさまで好評いただく場合もありますが、よほど自信のある内容のものであっても、世の中は広いもので、批判されたり、反対意見をいただいたり、「私の方が知っている・できる」という識者が現れる可能性をはらんでいるということを心にとどめておく必要があると考えています。
 
例えば、演奏をすれば、お客さんが聴きにいらっしゃる。
必ず何かの反応はあります。
それは良いものばかりではありません。
プロでもアマチュアでも関係なく、公共の空間と人の時間を使い、人前で演奏するということは、そういうことが起こります。
 
本当に何事もそうかもしれません。
 
的確に批判されたりすることは、身に覚えがあればあるほど、こたえるものです。
しかし冷静に考えれば、「言い難いことをおっしゃっていただけた。だから”有り難い”。」と思います。
 
自分ならば、これは言えるだろうか?と考えてしまいます。
言って正しくなかったら恥をかくかもしれない。
または、嫌われたくなくて、良い人になりたくて、言えないかもしれない。
 
だから、良くない感想を持ったほとんどの方は、黙ってその場を去ると思います。
 
ただ、批判的な感想をおっしゃっても、またいらしてくださるお客様もいらっしゃいます。それこそ本当に「有り難い」お客様です。
 
的を得たことを堂々と直接おっしゃることが出来るということは、その人に力があるということではないでしょうか。
私はそう思います。
 
批判と言っても様々なレベルがあり、理不尽で「誰が見ても客観的にこれはおかしい」と思えるものもあります。
 
しかし、これをもっても理由はあります。
自分が放ったものになにかなかったか。
そこにエゴがなかったか。
やはり何かのかたちで自分に返ってくるのではないかと感じています。
 
それは自分の鏡です。
苦しんでいる自分をもう一人の自分が「お前は苦しんでいるな」と黙ってみている様です。
そこから学ぶ成長もあります。
 
それを考えると、どのように批判、評価されたとしても、どちらにしても成長できる。
そして苦しんだときほど自分が成長をいただけているように思います。
 
だから、真摯な姿勢を持っていれば、自分を世の中にさらすことで悪いことは一つもありません。
 
それがいやならば、自分という城壁の中に一人こもっていればよいのです。
 
そして、もし、自分のような未熟な人間に発表できる場を与えていただいたとしたら。
それは感謝しかありません。
 
有り難い気持ちを持ってのぞみたい。
そう思います。

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