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ライフワークとしての学びを考えます。

人に悩みを相談したとき「そんなこと聞きたいわけじゃあないんだ」と叫ぶもう一人の自分がいる

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実は私、大学生のころラジオ番組の人生相談に電話したことがあります。
 
そのとき、年配の男性(有名人)が回答してくださったのですが、お説教をされて終わってしまい、人に相談することに懲りてしまいました。
そのとき「結局、自分のことは最終的に自分で解決するしかない」ということが分かりました。
 
それでも最近、悩みを人に相談してどっと疲れてしまったことがあります。
「何かあれば何でも相談してよい」とおっしゃっていただき、それは有り難く感じましたので、今悩んでいることを素直にご相談させていただいたのです。
そうすると、文章ワンフレーズ話すごとに止められて、「それは違うよ。こうすればいいんだよ。」と、即明快に大変論理的に解決しようとしてくださいます。
しまいには「なんでそんなことに悩むんだ。物事にとらわれすぎるからダメなんだ。その考え方を変えない限り一生繰り返す」と言われ、自分のダメさ、「相談力」のなさを指摘されたようでへこみました。
 
もちろん、おっしゃるとおりで、それはそれで自分にとっては良いクスリ。変に優しく慰められるより良かったかもしれないと思いました。
ただ、「本当はそんなことを聞きたかったのではないんだけどな・・・」と言っているもう一人の自分もいたことは確かです。
 
私は人の悩みを聞くとき、出来る限りまず自分が相手に対して「共感する」ことに集中します。
その方のために客観的に冷静な判断をして差し上げるためには、共感が深すぎてはいけないと思われるかもしれません。
 
しかし、相手は何を求めて相談してきているのでしょうか?
 
例えば「ピアノが好きで、音楽が好きで、他のことはやりたくない。音大に入りたい。でも将来が不安で悩んでいる」と言う相談を受けた場合。
 
決して「そんな意気込みじゃ出来るものも出来ないよ。この世界は好きな人がやればいいの。食っていけないのが当然なの。」などとは言いません。また、「最近は音大出身のスキルを生かした一般職の仕事もあるのよ」という現実的すぎることも言いません。
 
相談してくるほうはそんなことは分かっているのです。
十分承知で相談してきているのです。
 
私は、「自分も不安だったよ。」と共感する。まず自分がその方と同じ位置まで近づき寄り添うようにします。
 
そして、どんなことが不安なのか?を、時間をかけて聞き届けます。
実は良くあることなのですが「自分が本当は何に不安なのかよく分からない」のです。
何か分からないから不安なのです。
 
そこを一緒に探り出す共同作業を行う。
 
そうすると、意外なことで悩んでいることを自分で発見して、自分で立ち直って行かれます。これは、皆さん本当に見事にそれをやってのけられるので、私は何もしていないような気持ちになるほどです。
 
いつか、ご自分も病気を抱えられて、ご家族にも大きな病気が分かり、好きな音楽を断念しなくてはならないというご相談を受けたときは、私もずいぶん苦しみました。しかし、やはりご自分の進むべき道を発見され、さわやかに去っていかれたその後姿が見えなくなるまで思わずお見送りし続けたことがあります。
 
人にご相談しようと思われた時点で内面をさらけだし、弱い面を見せようという勇気を出しておられる。つまり、問題を解決しようとされている。いや、その時点ですでに解決されているようなものです。ご立派であるのです。こういう方はこちらがもし黙ってうなずいていたとしてもご自分で見事なまでに結果を出されます。
 
そんな方から、逆に自分の方が癒されてしまうことばかりです。
 
人は人に相談する時点ですでに解決されているのだと思います。

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