なぜ「この信号が青だったら良いことがある」のだろうか 偶然ではなく未来は自分が決めているのだとしたら
家を出て急坂を上がったところに、赤が長く青が短い信号があります。
だから、坂を上ったときに青になっていて、すぐに横断歩道を渡れるという確率は低い。
そして「この信号を待たずに渡れたら良い日になる」ことに、あるとき気がつきました。
子供の頃もそういうことをしていたように感じます。
「通学路の途中にいる犬に吠えられたらダメな日」で「吠えなかったら良い日」とか。
すごく素敵で、いるだけで気分の良い、大事な人にだけ紹介したいようなカフェがあります。だから以前は、場所も良かったことから、打ち合わせなどでそこを何度か利用したことがありました。
でも、そのカフェで打ち合わせをした方とは、遅かれ早かれ大抵なぜかご縁がなくなるのです。
ずいぶんたってから、ふとそのことに気がつき、「馬鹿馬鹿しい」とは思いながらも、いつの間にか使わなくなりました。
なぜ、そんな不思議なことが起こってしまうのでしょうか。
未来というものはあたかも自分では思い通りにならないように思えます。
しかし、これを自分が潜在意識の中で自分が結果を決めていたのではないかと考えるとどうでしょう。
大事な局面において、将棋の棋士が膨大な選択肢の中から、最後は「第六感」で選ぶ手というのは、これまで何万時間という時間を費やした末に脳が選択する手。つまり、気が遠くなるような積み重ねにより、考えるより早く脳が判断して選ばれているのだそうです
それはもしかしたら病も行いの積み重ねではないでしょうか。
以前、ストレス性胃炎を起こし胃カメラで撮影したとき、無意識に「自分が自分の体を攻撃している」という様子を見ました。「期せずして病気になってしまった」のではなく、自分の体を痛めつけているのは自分だったのです。画像を見たとき「こんなことをしてごめんなさい。いつも働いてくれていて有り難う。」と心の底から思いました。そのとき、「ああ、闘ってはいけないのだ。」そう思いました。
これは人生においても同じではないかと考えます。
あたかも直観や偶然のように感じられる出来事も、実は行いの積み重ねからすでに自分が決定している。
だから、未来は「考えとは違う方向に行ってしまう」「人生とは思い通りにならないものだ」と考えるのは、後から考えたことであり、本当は潜在意識では、「己の行いが未来を決めている・知っている」ということです。
「ズルをしたけど上手くいった。でかしたぞ。」「人を押しのけて成功できた」と思っても、実は自分の中にある無意識の良心はちゃんと覚えています。その積み重ねのほうが恐ろしいと感じます。
「どちらがお得か」「どうすれば上手く行くのか」と考える前に、日頃から潜在意識と行動を一致させる。そうすれば、無駄に考えなくとも無意識に良い判断をできるようになるのではないか。
自分の良心が素晴らしい方向に人生を導くのではないか、とそう思えます。
あるのは、自分の良心に従った行動だけ。
そして、未来も良き方向に変えられるのだと、道は開かれるのだと思います。