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大成へのゴールデンルール なぜ人は鈍感になれないのか

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人生には「運・根・鈍」が必要だとよく言われます。
 
「運」や「根」(根性)はすぐに理解できるのですが、「鈍」、つまり鈍感であるということはなかなか気がつくことではありません。
 
それに、鈍感と言えば、どちらかというと良くない意味にとられることも多い言葉だと思います。
 
私は、「鈍感」は、愚直であるとか、素直である、という意味も含まれているのだと解釈しています。
 
釈尊の弟子で一番頭が悪いといわれていた、チュータ・パンタカという人は、自分に自信がなくなって、あるとき仏陀にもう弟子をやめようと思うと打ち明けました。でも、仏陀は「得意なものはないか。とにかく得意なものをひたすらやり続けたらいいのではないか」とアドバイスしたそうです。チュータ・パンタカはお掃除が得意でしたので、周囲から馬鹿にされながらも毎日一生懸命掃除を続けたところ、あるとき悟りを開いたのだと言います。
 
ともすると、お掃除なんてやっている暇があったらいろいろな勉強をしたらいいではないか?と思ってしまいます。
 
最近の傾向として「こうすれば手っ取り早く出来る」「こうすれば簡単に出来る」という「ハウツーもの」が良しとされる傾向にあります。
もちろん、最小限のエネルギーで最高の成果を出すことは、素晴らしいことです。
 
しかし、今申し上げていることは、それとは違うことです。
 
どんな小さなことでも集中して続けるということはなかなか難しいことです。
そして、小さなことであればあるほど、そういう状況に感謝できなくて「なぜ私はこんなことをしなくてはならないのか」などと考えてしまいます。
 
しかし、そこを乗り越えられるかどうかが「鈍」ではないかと私は思います。
 
そして、もう一つ言うと、それが出来る人はなかなかいないということです。
 
指揮者の朝比奈隆さんは、愚直という言葉を好み、生涯ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーを繰り返し演奏し続けました。そして、70歳を過ぎてから大変に深まった音楽を繰り広げられたのです。特にブルックナーに関しては、「日本にいながらにして世界最高のブルックナーが聴ける」とまで言わしめました。
 
朝比奈さんのリハーサルはどんな小さなことでも手を抜かず、パートができていなければ反復練習させる、楽譜に忠実に、など、徹底した職人仕事だったそうです。
 
何でも演奏できる演奏家が多い現代において、ある深みにまで達するためにはどのような道を通らなければならないか。私たちに大きな示唆を与えてくださっていると思います。
 
「鈍」であること。
 
それは目の前にある、どんな小さなことでも愚直に取り組むことが、大きなことを成し遂げるためのゴールデンルールであるということを示しているように感じます。

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