学びの二極化が進む 本当の宝とはどこに眠っているのか
最近考えていることなのですが、演奏会をすると、とても幼い子供さんが大変熱心に聴きにいらしていて感心します。
退屈しないのだろうかとこちらが心配になってしまうほどです。
実を言うと、私も親がまだ何も分からないような時期に演奏会に連れて行ってくれていました。なんだかよく分からないのに、大人が鑑賞するようなものをもったいないような気がしますが、もし将来音楽の道に進まなくとも何かが心に残ってくれればよいと思ってくれたようです。
2008年北京オリンピック400メートルリレー銅メダリストの朝原宣治さんが、2012年9月18日日本経済新聞にコラムを書かれていて共感しました。
・・・・・(以下引用)・・・・・
子供たちも、周りの大人たちも、ついつい子供の将来の姿を安易に予測して、安全で安定的な進路を選ぼうとしがちではないか。その結果が、受験一辺倒というのはあまりに寂しい。
子供たちの可能性は無限である。そんなに早々と進むべき道を決めてしまう必要はない。(中略)
長い人生、少しくらい遠回りをしても構わない。失敗を恐れずに挑戦でき、それぞれの持つ才能が様々な分野で引き出されてこそ豊かな社会といえるのではないか。
・・・・・(以上引用)・・・・・
朝原さんは受験を選ぶのか、スポーツ、音楽、美術などを選ぶのか、二極化が進んでいるのを心配されています。
「日本の伝統的価値観「文武両道」の環境を実現することはとてつもなく難しい問題」とおっしゃる気持ちは私も同感です。
文化から得た感受性、スポーツから得た精神は、きっと総合的な人間力として、そして唯一無二の人間性として、将来に生きてくるのではないかと信じています。
本当の宝は、一見関係ないようなところに眠っていると私は思っています。