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ライフワークとしての学びを考えます。

なぜ良いものが残らないのか なぜ事件は立て続けに起こるのか 社会の目隠しされたニワトリ

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私たちは、現代社会においてメディアの報道によって、とてつもなく恩恵を受けているのだと思います。インターネットでの情報によって助けられることもたくさんあります。
そして、良くも悪くもその影響を受け、そこから完全に逃れることは出来ないのだと思います。
 
ナポレオンがエルバ島に幽閉され、脱出したときの「ル・モニトゥール紙」の報道によると、ナポレオンは、「人食い」からパリに近づくにつれて、「鬼」→「虎」→「怪物」→「暴君」→「簒奪者」→「ボナパルト」→「ナポレオン」→「皇帝」と呼び名が変化し、最後は「皇帝陛下」となっているところが興味深く感じました。
 
今も昔も人間の基本は変化しておらず、メディアというのは社会の鏡なのだということを思い知らされます。
 
昨日の記事では、人間というのは影響を受けやすく染まりやすい。だから意識して自分を良い環境に置くことは自分の能力を開発させるための戦略でもあるのだ、ということを書きました。
 
しかし、私の中で痛みと共に感じることがあります。
 
例えば、少年・少女による殺傷事件。
ある事件のあと、立て続けに同じような事件が起こってしまったことがある。
例えば、いじめによる自殺。
なぜか一つの事件が報道された後、繰り返される子供たちの自殺。
例えば、私の住む沿線でもそう。
人身事故での運行ストップは不思議と連発する。
 
それまで頭の中に無かったものが鮮やかに刷り込まれる瞬間というのがある。
それは素晴らしいアイデアでもそうでないものもすべては平等に訪れる。
社会で孤立し追い詰められていれば、ある一点において光をみてしまうこともあるかもしれません。
 
マーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロのゴールデンコンビによる歴史的名作、「タクシードライバー」。
 
この映画を繰り返し観たジョン・ヒンクリーにより1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件が起こりました。
ヒンクリーは、ジョディ・フォスターの熱狂的なファンを自称し、フォスターに自分を印象づけるために映画の中のロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィスと同じ行動をとるのです。この事件に衝撃をうけたフォスターは、一時期映画界とは距離を置くことになります。
 
素晴らしい才能を聴いたあと、その演奏が酷評されているのを見るといたたまれなくなります。次の年はその演奏家の会場はさらに空席が目立ちました。そして、次の来日はなく、シリーズの演奏会は中止になりました。なんという情報社会のインパクト。本当に良い物がまた社会から消えてなくなるのかという無念さ。そして、皮肉なことにその逆もあります。
 
 
小学生のとき、学校で飼っていたニワトリの目に手をかぶせてサッとあお向けにすると一瞬で寝てしまうのを先生に見せてもらったことがあります。
 
ニワトリは鳥目なので、暗くすると動かなくなるという習性を利用した方法なのだと思うのですが、さっきまで元気良く走り回っていたニワトリが、いとも簡単に眠ってしまう。 
その光景、未だに印象深く覚えています。
 
目隠しされたニワトリにならないように。未熟で弱い自分がそうであったから。一歩間違ったら地獄への道を歩んでいたかもしれないから。そして、今もその危うき縁にいる。
静かに人間の本来持つエゴを見つめ、ゆるぎない自分の軸を作っていきたい。そう思っています。

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