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ライフワークとしての学びを考えます。

「もうこんな仕事辞めてやる」 本当の卒業のタイミングとはいつなのか

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振り返って、今になって気がついたことがあります。
 
苦痛に耐えているとき、いや、「もう逃げ出したい、夢なら覚めてほしい」、そのくらいのときほど、成長している自分がいることに気がつきました。
 
それは自分のことだけではなく、身近な方々を見ていてもそう思います。久しぶりに会った方のそのたたずまいから柔らかいオーラを感じたとき、やはり苦難を乗り越えておられたことをうかがい、人生の奥深さを知ります。
 
「そんなことをいつまでも思い出していても仕方ないでしょう。忌まわしい過去はすぐに忘れなさい」とよく言われます。
それは、きっと人のためを思って言ってくださっているのだと思います。
 
しかしそれは、「未熟なお前を成長させよう」とした何かのご縁によって、深く感得した瞬間。忘れようと思っても忘れられない、大事な人生そのものです。
 
昨日知人と話していて、京都の大徳寺の和尚さんがおっしゃっていたという言葉を教えていただきました。
 
「人生とは訓練です。
 
だから今日より明日のほうがよくなっている。」
 
訓練とは、必ずしも楽なものではありません。
自分のハードルを越えるわけですから、少しずつ負荷をかけていくわけです。
身体がきしみ悲鳴をあげる。心も身体も追い詰める。しかし、超えるごとに見える景色が変わってくる喜びもある。
 
だから、仕事が辛いときは、まだ辞めるタイミングではない、と思っています。
そこで辞めてしまっては成長のチャンスを逃します。
もし、そこで変わってしまったり逃げてしまっても、不思議なほど、何かが差し向けているのではないかと思えるほど、同じことが繰り返し起こります。
 
例えば、いやな上司や、上手くいかない同僚から逃げるように出たとしても、またその先で全く同じようなタイプの人と出会うのです。
それはまだ自分自身の与えられた宿題を解決していないからでしょう。
 
もちろん、楽しく幸せなときもあっていいし、たまに訪れるその一瞬は、人生のご褒美のように感じます。
 
だから、最初は「厳しい」「きつい」「ああ、もう辞めてしまいたい」と思って取り組んでいた仕事。
「いつになったら楽になるだろうか」と思っていたことが、気がつくとふと楽になったとき。
 
それは、自分の成長が止まるときでもあります。
その領域から脱却すべきときです。
そのときこそ、そろそろその仕事をやりやすいようにし、どなたかに譲ってそこを卒業しなさい、という何かの声なのではないかと思います。
 
明日はもっと素晴らしくなる。
そんな自分の成長を信じています。
 
そして、船出の時期は何かの声に導かれるようにいずれ訪れるのだと思います。

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