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ライフワークとしての学びを考えます。

上手くいっている人に「あなたは失敗している」と言えるかどうか

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演奏し終わって舞台袖から出た廊下で、先生が立っていらっしゃいました。
 
一言「残念だったわね」。
 
意外に思えました。ほとんどミスもなく、私なりに演奏できたと思っていたからです。満足さえしていました。
 
「こんな弾き方をしていなかったはず。完全に方向性が間違っている」
 
思い当たるフシがありました。
そのとき、ある国際コンクールを予選から本選まで、すべて聴き込んでいたからです。
コンクールというのは、人と比較して勝ち抜くもの。自分の良い面を出す一方、やはり最後に残るのは自己主張の強い表現です。そういう強烈な演奏ばかりを毎日聴いていて、感化されていました。当時、まだ的確な判断ができなかったのだと思います。
 
本物のピアニストは、コンクールの後、演奏スタイルを変えてきます。
コンクールではあんなに派手に弾いていたのに、自分のリサイタルになると地味になっている。内面的な演奏にシフトしてきます。もっと言うと、作品の本質により近く、エゴを前面に出さない演奏になるのです。
 
そういうことも分からず、実力もないのに表面的なかっこよさだけを真似をして失敗したのです。そこには、音楽の本質とは違う、醜い自分のエゴが満ち溢れていたのだと思います。
 
逆のこともありました。

集中していたけれどぱっとしなかったし、ミスタッチもあった・・・と思っていました。
 
そうすると先生は「良かった。この方向性で行きなさい。」とおっしゃいます。
 
そのときは、余計な感情の研究はせず、技術的にも目立とうとせずに、ひたすら音楽だけを追求していたように思います。
 
自分では上手くいったと思っていても、失敗していることがある。
自分では失敗したと思っていても、上手くいっていることがある。
 
物事には、良い失敗と悪い失敗があるのだということが分かりました。
そして、演奏の基本とは何か。を学びました。
 
スポーツでは、ファインプレーをしても、偶然のファインプレーは良くないと言われます。守備の立ち位置が間違っていたのに、そこに偶然球が飛んできた。そいういうプレーは実は失敗しているというのです。
 
逆に、守備位置は良かったのに球がイレギュラーして捕球できなかった。これは良いエラーだと言います。
 
相撲の取り組みでも、勝利インタビューにおいて、「立会いが良くなかったので・・・」と、喜びもせず淡々としていることがあります。
 
今上手くいっても、将来は大きな失敗につながる。
今失敗しても、将来は必ず成功につながる。
 
そのようなことを、静かに見つめ見極めること。
プロフェッショナルの仕事の基本とはここにあるのではないかと思います。だから本物のプロは、成功しても、失敗しても、一喜一憂しないのです。
 
そして、自分も、先生があのとき指摘してくださったようなことを人に対してきちんと言えるかどうか。
先生の毅然とした勇気を今も尊敬しています。

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