人にお仕えすることができない人にどうして他人がお仕えすることができようか
人が仕える方は、また一方で人に仕えることも素晴らしいのだそうです。
私が仕事に伺っていた指揮者の先生には、鞄持ちをするアシスタントさんがいつも一緒にいました。
見ていると、その方は大変細やかなことに気がつき、譜面の用意から、先生が今コーヒーを飲みたいかどうか、そして、エレベーターのボタンを押すタイミングまで逃しません。
こうしたら先生がやりやすくなるのではないか、こうしたらもっとすばらしくなるのではないか、と常に考えて行動しておられるようでした。
当時は、なぜそんなことまでするのかよく分かりませんでしたが、彼は今、立派に日本を代表するオーケストラを振っています。
「あわよくば偉い先生から仕事をもらおう」という計算でやっているのではなく、尊敬する方に魂をこめてお仕えしなくてはならない、という思いが体の底からわきがっているように感じました。
そして、先生から指揮の技術だけではなく、同じ空気を吸うことで人間力まで学ぼうとなさっていたのです。
指揮者の先生もそんな彼に目をかけておられ、心から成長を望んでいるようでした。
指揮者というと、腕一本で勝負する一匹狼のように思えますが、どんな方でもたいていは上司や師匠にお仕えする期間があります。
私はその方を見ていて、織田信長に仕えていた豊臣秀吉を思い出してしまいました。
指揮者や演奏のような仕事をする場合、そこに立っているだけで「この人だったら」という何かが伝わることが大事です。
名刺を見せる必要もない。
特に指揮者は、人間力の世界です。
その人のブランドではなく「この人が言うのならば」と皆が従う。
オーケストラを振る場合、相手もプロフェッショナルですから上も下もないのですが、その方々が黙って従うどころか、目の色を変えて夢中になる。凄い方になると、振っていなくてもその場に立っているだけでも音が豊かに変化するほどだと言います。
そうでなければ、相手の心が動くわけがありません。
音楽をする人間は、譜面の中に存在する作曲家という人間と格闘する。
それもまた素晴らしいこと。
しかし、真の人間力を身につけるためには、人間と関わらなければならないと私は考えます。
あのとき、大切なことを教えていただたいたと今でも思っています。
*2012/05/15 10:50 「人にお使えすることが出来ない人にどうして人が仕えるのか」より題名を変更しました。