「ふとしたことから」「ひょんなことから」 運気とは 自分自身の運気をつかむには
日経新聞の記事「私の履歴書」が好きです。
素晴らしい方々の生き様や志は、読んでいて勇気がいただけます。
その中で、よく出てくる言葉。
「ひょんなことから」
「ふとしたことから」
人生の分かれ道において、あたかも運気が偶然訪れたように書かれています。
「そうか、この方は運がよかったのか。」
「この方は恵まれていたのね」
と解釈して終わることもできる。
ピアニストの私が、合唱団の代表をし、合唱指導者、声楽、さらに発声のトレーナーとしての道も歩み始めたのはあるきっかけからです。
以前、ある指揮者のもとでお仕事をご一緒していました。
その先生は、日本を代表するプロのオーケストラの定期演奏会を振るほどの方だったのですが、あるとき「僕はもう指揮棒を置きます」とおっしゃったのです。そして、その後は全く口を閉ざされてしまいました。
ある華やかな時期を疾風怒濤のように駆け抜けてこられた。しかし、芸術家としての本能が、または私の分からない何かが、先生をそうさせたのでしょう。私は、その気持ちは理解できる気がしましたし、先生は勝手だとは思いませんでした。
先生の合唱団は多いときで200人の方々がいらしたそうです。それが一気に6人となりました。
これで打ち切る、という考えもあったでしょう。しかし、残ったその6人は「合唱をやりたい」と心から思っていらっしゃる。しかし、たった6人では経費のかかる合唱団運営はとても無理。どうすればよいのか。
考えあぐねていたそのとき、電車の中でふと「すべて自分が引き受けよう」という言葉が降りてきました。
幼い頃から世界はピアノしかないと思っていた自分。その瞬間まで、歌を、合唱をやろうなどという発想はまったくなかった。しかし、これも天の声。
私は、あのとき「指揮棒を置く」とおっしゃった先生は「お前やってみろ」という無言の教えを授けてくださったのだろうと思っています。
それから合唱団員は少しずつ増えて、紀尾井ホールなどの名ホールで五回の定期演奏会を行い、今では28人の良き仲間が歌ってくれています。
そのとき、なぜその道を選んだのか?
なぜふと言葉が降りてきたのか?
それは、周囲のだれよりも常に考え続けていたからではないかと思います。
だから風が吹いたときに風を感じることができた。
すべてはピアノから始まっているし、今でも生きる意味の中心はピアノにある。
怪我で何年も弾けない時期の経験が、判断に迷ったとき、進むべき道を決めてくれます。
道を振り返るとき、道のつながりを感じ、すべてに感謝したい気持ちが湧き上がってきます。
運気とは良きご縁。最も良きご縁とは、人とのご縁のことではないかと思っています。
おかげで、ピアニストをしているだけでは知り合えなかった様々なジャンルの方々との素晴らしいご縁をいただいています。
人生には瞬間に無限の選択がある。
その中から導かれるように一つの道を選んでここにいる自分。
有り難い。
いまこの瞬間を慈しむように生きていきたいと思います。