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ライフワークとしての学びを考えます。

嫌なこと、厳しいことを言われたとき それは負けではない 勝負の瞬間を逃すな

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ある講演で5分だけ遅刻した方がいました。
 
事前に言われていたわけではない。しかし、この講師は遅刻を認めないということで有名な人でした。
仕事が長引いたのかもしれません。それでも一生懸命いらしたのだと思います。慌てて入ってきた方に静かに言い渡しました。
 
「あなたはご縁がありません。お帰りください。」
 
不服そうな、困惑したような表情を浮かべたその方は、退場なさり二度と戻られませんでした。
 
私は、その後の一言が深いと感じました。
講師の方は一言「今、あの人は大変です」とおっしゃったのです。
 
その方は立ち去った後、きっと様々なことを感じられたと想像します。
「こんなこと聞いてないよ」
「たった5分で?」
「せっかく都合をつけて来たのに・・・」
心の中に怒りや恥ずかしさが渦巻いていたかもしれません。
 
講演とは、講師と聴衆の共同作品なのだから当たり前のことだ、ということは、その場で同じ空気を共有すれば理解できることなのですが、いきなり違う空気感の中からやってこられた方にとって、どのように感じられたか。
 
最近は、仕事で嫌なことがあってもすぐに忘れる方法、ストレスをすぐに解消する方法などが流行しています。
以前の自分は出来る限りそうしていました。それが自分の心を守る方法だと信じていました。
 
しかし、実際は、意志の力で無理に忘れようと思っても忘れられるものではありません。その問題はいつまでも自分を蝕んできます。
嫌なことというのは、必ず意味があるのだと思います。それは人生の宿題でもあり、そこで感得しないと宿題を解決しないまま、また同じことが繰り返される。貴重な人生が過ぎていってしまう。
 
ただ流してしまっていたらば、それは心底怖いことだと思いました。
 
たった今起こったことをどう解釈するか。
そして、どう処するか。
これが大事な分かれ道ではないかと、今は思います。
 
最近、かなり厳しいご意見をいただきました。
以前でしたら「何と理不尽な言い方をするのだろう。この人は感謝の気持ちもないのだろうか」と怒りを感じていたでしょう。
しかし、一呼吸おいて考えてみると、「自分はなぜ怒りを感じている?おっしゃっていることは一理あり、正論。エゴが自分を守ろうとしているにちがいない。ここで反発しては、人に対してまた同じことを繰り返してしまう。」そう思ったとき、「配慮が足りませんでした。おっしゃり難いことを言っていただき有り難うございます」と言っている自分がいました。
 
その方とは、以前にも増して良好な関係を築くことができています。
 
厳しいこと、むしろ自分が嫌だなと思うことをおっしゃっていただけた、その瞬間に何をつかむかが成長のチャンスなんだと考えます。
そのときこそが自分との勝負なのです。
 
「今、あの方は大変です」
今でも、その意味を噛みしめています。

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