楽譜どおりに演奏しないほうが楽譜どおりに聴こえることがある
音楽は楽譜というものがある以上、それに忠実に演奏することが求められます。
しかし、書いてある音をそのまま正確に演奏しても、その作品の言わんとすることを伝えらない場合があります。
それには、二つの理由があります。
まず一つ目は、その曲を演奏するために必要な実力がまだ足りない。
二つ目は、技術的な面も合わせて表現方法が演奏者または演奏団体の個性に合わない。
一つ目の理由であれば、実力を上げる努力をするか、現時点の実力に見合った曲に変えたほうがよいでしょう。
二つ目の理由であれば、楽譜通りの演奏ではなくなりますが、多少の工夫をして、表現を作品に近づける方法も有りだと思います。
2012年2月18日合唱団コール・リバティストで、マエストロ(本番指揮者)が来ての練習がありました。
現在、ブストというスペインの作曲家の作ったアカペラ(伴奏なし)宗教曲に挑戦しています。
その中の一曲「O mgnum mysterium」は難しい作品です。
特に冒頭が難しく、「O mgnum mysterium」と、合唱団全体で、それぞれ個人がつぶやくように歌いお祈りを捧げる部分があります。
聴いていると、教会で修道士たちが、自分のペースでお祈りの言葉を唱えている様子がイメージされます。それが教会の長い残響によって一つの音楽のようにも聴こえる、という大変神秘的な効果がある部分なのです。
アドリブ的に言葉をしゃべりながら音程をつけて、オーロラのように少しずつハーモニーの色彩を変えていかなくてはならないところが、この作品の難しいところでもあります。
ハーモニーが微妙に変化する感じが、なかなかつかめずに苦労していました。
半年ほど頑張ってみたのですが、なかなか上手くいきません。
理由として、小さく言葉をしゃべりながらだと、言葉にとらわれてしまい、微妙に音程を変化させることが難いのです。
一つの試みとして、「言葉で歌う人」と「母音だけで歌う人」を半分ずつに分けて演奏してみました。
「母音の人」は音程がとりやすいので、しっかり音程をキープできます。そして「言葉の人」は、言葉をしゃべりながらでも、音程を「母音の人」に頼ることができます。
そうすることで、全体は、「音程が安定しながら、きちんと歌詞をしゃべっているように聴こえる」という状態になりました。
全員が楽譜どおりに歌っているわけではありませんが、聴衆には楽譜どおりの表現に聴こえてくる、という良い結果に落ち着きました。
集団音楽というのは、全員がぴったり同じレベルでもありませんし、個性も違います。
こういうところで、力を合わせて出来ないものが可能になっていくのは、集団音楽の良さですね。
この日は他に中田喜直の「海の構図」全曲と、「都会」より「子守唄」、女声のアカペラ作品「Salve regina」を練習しました。
5月13日の浜離宮朝日ホールは、上質な残響が特徴のホール。
よく聴きながら、残響を生かすような表現ができると良いですね。