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ライフワークとしての学びを考えます。

作品を書くのはのどに手を突っ込むような作業

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「作品を書くのはのどに手を突っ込むような作業なのです」
 
つまり、強引に嘔吐しようとしてのどに手を入れるようなこと。
作家の森瑤子さんの言葉を聞いたとき、無から有を生む作業の凄まじさに戦慄しました。
 
池田満寿夫さんの「エーゲ海に捧ぐ」を読み、強烈なインスピレーションを得て書いたデビュー作「情事」。洒脱な文章。香りたつようなエロティシズム。37歳のなんという研ぎ澄まされた感性。
その後、次々と作品を発表し大変な多作家でもありましたが、52歳という短い生涯を閉じました。
 
なぜ、女流作家というものはここまで命がけになるのか。
 
ジャクリーヌ・デュ・プレというチェリストは、天才少女としてデビュー後、わずか10年の演奏生活を過ごしただけで難病「多発性硬化症」を発症し42歳という短い人生を終えています。
彼女の弾くチェロを聴けば、こんな演奏を続けていたら本当に体が持たないないのではないかとさえ思えます。
 
そして、ピアニストのアルゲリッチ。
 
いつも演奏の前は極度に不安になってしまいキャンセルも多いのですが、一度没入すると激しい狂気の中、異常なまでの燃えつき方をする。
しかし数年前、長い間患っていた癌が悪化。手術は成功し今も現役を続けていますが、アメリカで手術をしたとき、彼女に付き添う人もない。唯一、日本人ピアニストの海老彰子さんがすべての仕事をキャンセルして駆けつける。しかしなんとも孤独な人生。いまだに「本当はピアニストなんかになりたくなかった」と苦しんでいる。
そして人生最高の演奏はと問われれば「ショパンコンクール、ファイナルでの演奏」という答えに、天才と言われる彼女の苦悩が感じられます。
 
ある仏教者が「男性はそのままの形で悟りに達することができる。しかし女性は男性のレベルまで自分を高めないと悟れない」ということを聞いたとき、これはずいぶん個性的な意見ではないだろうかと思う一方、何故かストンと素直に納得できる自分がいました。
 
その所業は自分を高めるための姿。
疾走するように、憑かれたように、何か追い求めるその姿。
そして薄幸な運命が彼女たちをさらに輝かせている。

本当にその命を削りながら。
 
しかし、時間はかかっても、演奏回数や作品の数は減ったとしても、その内面を静かに深く見つめる時期を置いている女流も存在します。
 
さらなる深みにおける世界。
見果てぬ夢ですが、そういう世界をいつか見てみたい、と思います。
 
それが本当に自分の可能性を信じること、そして、自分を愛することになるのではないかと信じています。

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