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ライフワークとしての学びを考えます。

「先生」と呼ぶ? 呼ばれたい?

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仕事柄でしょうか。
「先生」と呼んでいただける場面が多いのです。
 
私は、高校1年生の頃から生徒を教えていましたので、意外と「先生歴」だけは長いのですが、いまだに落ち着かない気分になってしまいます。
 
私は偉くもなんともありませんし、そうお呼びいただける親御さんのほうが、よっぽど素晴らしい方々が多い。いや、立派な親御さんほど深々と頭を下げてこられて、恐縮の極みなのです。
 
私が音大付属高校時代のことです。そのときの担任の先生が新入職員で、同じ音大を卒業したばかりの方でした。先生は、初回の挨拶でこうおっしゃったのです。
 
「ボクが教職員として初めて職員室に入ったとき、"A先生!"と先生方からいきなり呼ばれました。彼らはつい最近までボクを教えてくれていた人たちです。ボクはまだまだ新米。"そんな、先生なんて呼ばないでください"と言ったんです。そうしたら、部長のO先生から言われました。」
 
「『先生としての自覚を持ってもらわなくてはいかんのよ。先生と呼ぶことで先生らしくなっていくんだ。呼ばないことで甘えが出る。立派な先生になってください。』」
 
「なるほど、と思いました。お互いに音楽家として、人間として、成長していきましょう。」
 
その言葉。今でも覚えています。
 
「先生」と言われるからには、少なくとも生徒側より何歩か先を行かなくてはならない。そのプレッシャーから逃げたいという気持ちが、自分の中にあるのかもしれません。
それを受け入れていくことも一つの修行なのかもしれない、と思うようになりました。
 
しかし、本当はもう一つ違和感を感じることがあります。
 
私の中では、常に自分のイマジネーションを柔軟にしておきたい、という気持ちが強いのです。「先生」を受け入れると、「無意識の領域」で「何か」が違ってきてしまう、という微かな不安感があります。もちろん、そう呼ばれていても素晴らしい芸術家はたくさんおられます。
 
初めてイギリスのピアニストに師事したとき、文化の違いなのかもしれませんが、彼は自分のことをファーストネームで呼ぶように最初に言っていました。このとき、次から次へとアイデアが出てきて、お互いがより自由なイマジネーションで音楽作りができたように感じました。新鮮な感覚でした。
もしかしたら「先生」と呼ぶ側も「何か」が違ってきてしまうのかもしれません。
 
一方で、こちらからぜひとも先生と呼ばせていただきたい方もいて、大人になってご意見していただけることの幸せを感じています。
 
自分自身に限っては、「先生」と言われて落ち着かない気分というのは、やはりいつまでも持ち続けていたいと思っています。

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