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ライフワークとしての学びを考えます。

音楽を作り上げるためには聴衆が必要だ

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クラッシック音楽は、他人の作った作品を演奏します。
 
ある作品に出会い感動する。そしてその素晴らしさを、自分だけでなくたくさんの人々にも伝えたい、分かち合いたい、という気持ちになる。その情熱が演奏へとつながります。
 
だから、「このように表現したい」というのは、一番最初にかなり強烈なイメージとして持っているのです。
 
しかし、日々試行錯誤していくうちにいろいろな発見があります。
そして、ある程度のところで、その作品について深い知見を持つ方にアドバイスを受けに行くなどする。
その時点で、最初のイメージとは違っていることもよくあります。
 
そして作品にとって一番良いのは、厳しい聴衆の前で演奏することです。
「一流の演奏家は一流の聴衆に育てられる」ともいわれております。
 
不思議なことなのですが、ここで聴衆は何も言わなくても音楽は深まります。
良い聴衆というのは、だまっていても、そこに佇むだけで力に満ちていて、こちらに伝わってくるものなのです。
 
演奏会なのだから、演奏家は伝えて、聴衆が享受するのでは?と思いがちなのですが、良い聴衆というのは、演奏を左右するほどの影響力を持ちます。

例えば、指揮者の朝比奈隆さんなどは、晩年になればなるほど音楽が深まってきた。そしてある時期から、さらに元気になってこられた。最終的には92歳になるまで現役で指揮を続けられました。演奏に2時間くらいかかる交響曲を、全て立って指揮されていたのです。
 
私は、朝比奈さんの最晩年しかライブ演奏を聴くことができなかったのですが、聴衆の「気」の素晴らしさは他の演奏会の比ではありませんでした。宗教的ともいえる空気感に満たされてのブルックナー。ベートーヴェン、シューベルト・・・。
今思えば、自分の音楽的な成長が「よくぞ間に合った」というのが正直な気持ちです。
 
それほど聴衆というのは大切なものなのです。
 
家に引きこもり、毎日真面目に何時間練習しても絶対に得られない。聴衆の前で磨かれたものしか光り輝かないものがあります。
「とにかく人前に立ち続けなさい。恥をかくことを恐れてはいけない」と、師匠がおっしゃっていた意味が、この頃少し分かってきたような気がしています。聴衆の前にさらすことで、音楽は変わっていきます。深まってきます。
 
しかし、何回演奏したとしても、核になる「最初感じた初々しい感動」は忘れてはなりませんね。マンネリは簡単にやってきます。それをふせぐために、意志の力や、常に新しいアイデアをイマジネーションする力が求められます。
 
音楽といいますと、一人ですべて作り上げるものと思いがちなのですが、他人との共同作業でもあるのですね。

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