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ライフワークとしての学びを考えます。

答えはだれも教えてくれない それでも考える習慣をつけるために

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私は、昔から「誰かのためにがんばる」と思うと力がわいてきます。
 
ブログは、自分にしては珍しく続いています。
ブログのコメントやツイッターで、「いつも楽しく読んでいます」とか「ためになります」などおっしゃっていただけると、不思議とまた次も書いてみようというパワーが沸いてくるのです。読んでくださる方から本当にたくさん幸せをいただいて、それだけで大満足しています。
 
ブログを書いて、もう一つ良かったことがありました。
 
考える習慣がついたことです。
 
書いてみて、考えを文章にまとめるというのは、意外に頭を使うということが分かりました。
 
何かを読んだり聴いたりしたあと、「うん、分かる、分かる」「違うんじゃないかな?」「なんかおかしいな」「今度このやり方を試してみよう」「こんないいことは誰かに教えてあげなくちゃ」「あの人も同じこと言ってたかな?」など考え始めます。
いつもはここで終わっていました。
 
大事なのはその後なのです。
記事にしようとすると、考えを何度も回したり、足りない知識を調べたりしていく作業が必要です。
 
例えば、幼い頃からやっているピアノを自然に弾いているつもりでも、実は良く考えると、師匠からのことばや、過去の名演奏家の演奏などが、少しずつ反映されていることに気が付きます。
それを文章化することで、考えや知恵が整理され、さらに強くインプットされることが分かりました。
ピアノだけ弾いていては、まずこんなことはありません。
 
誰かのため、と思って書いていることも、実は自分の大きな力になっているのですね。
 
ただし、考える習慣がつくと言っても、それはイコール答えがすぐに出るわけではありません。
いつも答えのない問いを繰り返し問い続けている。もしかしたら一生答えがでないかもしれない。それでもやはり、そんな問いを問い続けていかなければならないのですね。

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