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ライフワークとしての学びを考えます。

風圧を持っているか

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名指揮者とは、その場に立っているだけでオーケストラの音が変わるものです。
 
ベルリン・フィルで、アシスタントの指揮者が練習をつけていると、突然音が本番さながらの音に変わったとき、ホールの片隅に指揮者のフルトヴェングラーが立っていた、という有名な話があります。
 
これは神秘主義や宗教の話ではありません。
「ダメなオーケストラなどない。そこにダメな指揮者がいるだけだ」という指揮者の格言は厳しい現実なのです。
 
それでは素晴らしい指揮者とは。
それは、暗黙知をいかに伝えられるか、ではないでしょうか。
 
何も言わなくとも、その場の空気と呼吸で伝えてしまう。
一種の風圧とでもいうべきもの。
 
フルトヴェングラーはそういう風圧を持った指揮者だったのではないかと想像します。
今の時代においては、「いい人」で「皆の意見を取り入れる」指揮者が良いとされる傾向も一つの流れとしてあります。
しかし、暗黙知はそれだけでは伝わらないのだと私は思います。
 
「日本にいながらにして世界最高のブルックナーを聴かせる」とまでいわしめた指揮者、朝比奈隆さんの演奏会に行ったときのこと。
 
サントリーホールの舞台すぐ横にある2階ライト席やレフト席は、いつも朝比奈さんを聴きにやってくる男性ファンで一杯。関西弁も飛び交い、朝比奈さんの地元関西からわざわざやってくる方も大勢いました。
 
最初の一音が振り下ろされると、日本のオーケストラとは思えない重く深い音が場を満たし、聴衆も座りながらの直立不動。身じろぎ一つしません。
カサリとでも動こうものなら、「シーッ!」というような厳しい視線を一斉に浴びることになります。
 
聴衆の「気」が作り出す場の空気。
そんなものが彼の演奏会には確実にありました。
 
そのとき、演奏会とは「聴衆との共同作品」、まさにアートなのだと、強く感じました。
朝比奈さんの指揮者としての暗黙知が、彼の風圧と呼吸によって、オケだけでなく、聴衆にも伝わっているのです。
 
聴いたあとすごく疲れるのですが、自分がその場に居合わせたことに、興奮と感動を覚えてしまう、そんな伝説のような演奏会があったのです。
 
今、指揮者の、いや、リーダーの心のあり方を深く考えさせられます。

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