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ライフワークとしての学びを考えます。

プロでいる限り空前絶後は再現できない

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世界的女流ピアニスト、マルタ・アルゲリッチは、日本においても「別府アルゲリッチ音楽祭」でその名を一般的に知られるようになりました。
生き様そものともいえる自由奔放な演奏、強靭なテクニックで聴衆を魅了する天才ピアニスト。しかし、気分が乗らないとアルゲリッチとは思えないような演奏をすることもあり、キャンセルも多く、彼女が舞台に現れてくれれば運が良いと思わなくてはなりません。
 
そんなアルゲリッチは、常に本番に対する恐怖と闘っています。
リハーサルで調子が良くても、本番前に突然怖くなり、楽屋の扉を硬く閉ざして「今日は弾けないからやめる」と言い出したりする。指揮者がなだめすかして舞台に上げなくてはならないほどなのです。
 
青柳いずみこさんの著書「ピアニストが見たピアニスト」で、尾崎豊とアルゲリッチを比較した興味深いことが書かれていました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
元マネージャーの鬼頭明嗣の書いた「尾崎豊アイ・ラブ・ユー」を読んだときだ。(中略)
尾崎のステージは動きに予測がつかない。二十歳を目前に控えた若さが構成や演出を超えて、殺気と言ってもいいくらいのエネルギーになってぶつかってきた。全身全霊をこめて完全燃焼したコンサートの一ヵ月半後、尾崎は無期限に活動を停止する。87年末には、覚醒剤取締法違反で逮捕。空前絶後の瞬間を再現できない苦しみが彼を襲った。91年に独立して個人事務所を設立、鬼頭は乞われてマネージャーに就任した。5月20日、三年半ぶりのツアー初日となった横浜アリーナでのライヴは大成功だった。代々木を上回る出来だったと喜ぶ鬼頭は、「この調子で明日もがんばっていきましょう」と言ったとたん、尾崎のうんざりした表情を見て凍りついた。今晩の成功が、そのまま明晩へのプレッシャーになる。
アルゲリッチのステージも、次に何が起こるか予測がつかない。瞬間的にもの凄いエネルギーを発し、憑かれたように弾きまくる、踊りまくる、あるいは忘我の境地に達して思うままにファンタジーをくりひろげる。空前絶後のノリは、それが空前絶後であればるほど再現は難しい。今度憑依できなかったらどうしようという不安、さらなる空前絶後を期待されることへの疲労感。そんなプレッシャーにアルゲリッチもとらわれてしまったのではないか。
 
     ・・・・(以上引用)・・・・・

人は一回上手くいってしまったり、何かの間違いで調子良くいってしまったりすると、成功体験を繰り返したくなる。「そのとき」は一見簡単に思われるので、永遠に同じことをマンネリと続けてしまう。
しかし、全く同じことを繰り返しても「至高」の瞬間は永遠に訪れないのです。
 
プロのアーティストについて、尾崎を世に出した「月刊カドカワ」編集長、見城徹氏の言葉を引用します。
「(プロの)アーティストというものは、いったんステージに立てば余裕を持っている。(中略)リハーサルの成果をきちんと見せてくれる。だからこそスーパースターなのだが、逆に言えば『この次はこういう感じになるな』と動きの予想がついてしまうこともある」
 

 
しかし、それ以上のもの見ようとする者は、アイルトン・セナのようにアクセルをさらに踏み込まなくてはならない。
当然リスクも高まります。 
聴衆の期待以上にいかなくてはならない苦しみ。
空前絶後の再現のためには、努力し、インスピレーショを刺激し、磨き続けていかなくてはならないのです。
安定することなどなく、高みに行けば行くほど足元は地面から離れ、怖さは増して行きます。
アルゲリッチや尾崎豊のように天才であるかどうかは関係ありません。挑戦し続ける限り常に苦しみと恐怖は自分の中に存在し続けるでしょう。

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