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「偉大な指揮者に学ぶリーダーシップ」 真のリーダーシップとは無為の為

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一人の指揮者が100人のオーケストラの前で指揮棒を振り下ろすと、一糸乱れないハーモニーがホール全体にあふれる。聴衆はその豊かなハーモニーに酔いしれ、恍惚とした表情を浮かべる・・・。
 
ここに究極のリーダーの姿があり、オーケストラの指揮者になりたいと思わない男性はいない、とまで言われています。
 
「偉大な指揮者に学ぶリーダーシップ」というテーマで、イスラエル出身の指揮者イタイ・タルガムが、TEDカンファレンスにて講演を行っています。
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リーダーシップとは一体なんなのでしょう?
タルガムは指揮者のリーダーシップについて、企業の経営幹部にも見せるという映像を入れながら、5人の有名な指揮者を例に説明します。
 
リッカルド・ムーティの指揮は命令的で明確。彼の絶対は作曲家しかいません。
しかし、「あなたは私たちをパートナーではなく、楽器として扱っている」とスカラ座全従業員から総スカンをくらい、辞任することになります。
 
作曲家でもあるリヒャルト・シュトラウスは、ムーティとは正反対。「コンサートが終わって汗をかいているようなら何かやり方が間違っている。」と言い、自分の作品においても無表情で棒を振りスコアをめくる放任主義
 
そしてカラヤン。目をつぶって指揮棒を振るのですが、ここぞというところ以外は、ほとんど「どう弾いていいかわからない」ような曖昧な棒。カラヤンは「最大の害は明確は指示を与えることだ」と言っています。
このとき、カルダムがオーディエンスに対して面白い実験を行います。
ムーティ風に振った場合とカラヤン風に振った場合、どちらが全員の手拍子が合うか。もちろん合ったのはムーティでした。
 
カラヤンの方法は、やり方を指示しないので団員が音楽をおしはからなくてはなりません。全て任された団員は常にプレッシャーを感じていました。実はこの方法、一見自由に見えますが、心理的にとても強いコントロールなのです。
 
天才と言われるカルロス・クライバーは、身のこなしも音楽そのもの。柔軟性と鋭さを併せ持ち、演奏も抜群です。表情一つで、団員に対して一種のフィードバックを行っていました。
クライバーは、実際ああしろこうしろという指示はしていないのですが、演奏家たちは頭の中にアイデアを持っていて何をすればいいか分かっています。
クライバーのコントロールはもう別次元のもの。団員一人一人がコントロールできていて、指揮者はパートナーシップをまとめあげ、最高の音楽を生み出す。クライバーは場の条件を作っているということなのです。だから、クライバーとの演奏は、モチベーションとエネルギーを与えるだけではだめで、プロフェッショナルであることが必要不可欠なのですね。
 
そして最後はバーンスタイン。
バーンスタインは音楽に対する「意味」を大事にしていました。音楽が苦悩すれば苦悩の表情を浮かべる。バーンスタインの指揮は音楽家のストーリーを語り、団員一人一人自ら語り手となって、それにコミュニティ全体が耳を傾けるということを可能にしています
最後の映像では、バーンスタインが手を全く上げずに顔の表情だけで指揮をしていましたが、オーケストラは見事に生き生きと音楽を奏でていました。

まさに「無為の為」
 
究極のリーダーシップとは「何かを愛しているならそれを与えること」に他ならないということなのですね。
 
 
私は、5人の指揮者それぞれに素晴らしいと思っています。本来ムーティにしても凄まじい名演奏はたくさんあります。彼を気に入る団体は音楽に身を捧げるような演奏をするのです。
指揮者の仕事は本番よりリハーサルにあります。聴衆の前で棒を振っているところはほんの一部でしかありません。その前にどのような準備をするかで演奏会の成功が決まります。
クライバーも、演奏会の契約をするときは、通常の何倍ものリハーサルを要求しました。そこで気に入らなければ「やめだ!」と公演を中止し帰ってしまいます。キャンセルが多く、クライバーの振る舞台は、常に控えの指揮者が待機していたほどです。にこやかに笑顔で指揮をしていますが、舞台に出るまでは強烈な本番への恐怖と戦っているのです。

それぞれが、目にみえない葛藤があり、それをみじんも見せずにリーダーシップを発揮しているのです。
 
指揮者の仕事とは、どんなに厳しいリハーサルをしようとも、最後は演奏者が自ら音楽をしているようにさせることが大事なようですね。
リーダーシップの奥深さを見た思いです。

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