「自信がない」ことも才能 自信がないことから天才的なひらめきとパッションを得る
国際的なコンクールに優勝し、日本を代表するようなヴァイオリニストのXさん。知人が伴奏ピアニストをしていたことから、本番前の様子を聞いたのですが、極度の緊張からか、青ざめて「お腹が痛い」と何度もトイレに行くような有様だそうです。しかし舞台に上がると、「今ここで死んでもかまわない」とでもいうような、情熱的で何かにとりつかれたように集中力の高い演奏するのです。
キャンセル魔で天才と呼ばれるピアニストのマルタ・アルゲリッチや指揮者のカルロス・クライバーは、本番の寸前に恐怖の絶頂が訪れて、聴衆が待っている会場から忽然と姿を消してしまう。
テノールのマリオ・デル・モナコも、「もうだめだ・・・」と震えているのを、マネージャーが無理やりステージに押し出す。
彼を尊敬しないピアニストはいない、とまで言われている巨匠のスビャトスラフ・リヒテルも、本番前はアガリきってしまって、ろれつも回らず、足もフラつき、指揮者の岩城宏之さんが支えていないと舞台に上がれなかったほどだそうです。
この人々に共通するのは、「天才的なひらめきとパッション」。
単なる普通の演奏家ではない、何か天から降りてきたかのごとくの演奏をするのです。
アルゲリッチは、「ピアニストなんかになりたくなかった」と言っています。「ミスをするのではないか」「今日は弾けないのではないか」という不安に常にさらされていたそうです。あれほどの達者なアルゲリッチがミスの心配をしているのです。
そして、カルロス・クライバーに関しては、「基本的に自信がなかった」と評論家の片山社秀氏は、語っています。
リヒテルも、やはりもしかしたら自信がなかったのかもしれません。
リサイタルの前の日であろうと体力の温存もへったくれもない。練習場所は幼稚園のボロボロのアップライトでも、かまわず納得がいくまで練習し続けるのです。
「自信がない。」
このマイナス思考の言葉。
「自信がない」というこのマイナスを、「自信を持って!」と言って無理やり打ち消すのではなく、それを受け入れ、マグマのようなエネルギーとして爆発させる。
自信がないからこそ、自分をギリギリまで高める「火事場の馬鹿力」。
自信がないからこそ、必死で練習し続ける・・・いや、そうしていないと不安でたまらない、とでもいったリヒテルの姿。
「自分は自信がない」
そう思って落ち込むことはないのではないか?
自信がないことこそ、与えられし才能ある者をかきたてるエネルギーなのではないか?
と思うようになりました。
自信がないことも才能の証。
自信のなさをうまく利用して、一期一会の奇跡のような本番を楽しんでみる。
演奏だけではない、ここ一番の仕事もプレゼンも、その精神で臨んでみようではありませんか。