リスクを伴いだれもが不可能だと思うところに本当のチャンスがある
昨日の記事で書きました、指揮者ブリュッヘンと「18世紀オーケストラ」
彼らは、モーツァルトやベートーヴェンの時代の楽器を使って、その当時のスタイルで演奏しています。
これを、ピリオド奏法と言います。
そして、当時の楽器のことをオリジナル楽器と呼びます。
さらに、より高い音や低い音や音量を追求し、開発を重ねてできた現代の楽器をモダン楽器と言うのです。
私が、有田正広先生の授業で、ブリュッヘンを紹介してもらったときは、まさにピリオドまっさかりの時期。
ブリュッヘンの出すCDは、どれも名演かつ衝撃的な内容で、ベートーヴェン交響曲全集(特に1番、3番、7番、8番は最高)、モーツァルトの交響曲など、夢中になって聴きあさりました。
クラッシックが、上品で優雅に鑑賞するものではなく、人間の悩み荒ぶる魂、疾風怒濤の調べ、そして繊細に豊かに変化する魔法のような色彩などを表現する完全内容主義の芸術であることが、ブリュッヘンによって表現されていました。
それが、現代の私たちと同じ時代に生きている人からのメッセージであったことが、さらに強烈に印象付けられたのです。
そしてその後、現代の楽器を使って演奏するオーケストラまで、ピリオド奏法による演奏が流行し始めました。
この、クラッシックの世界でも演奏に流行というものがあるのです。
モダン楽器でのピリオド奏法。
今は少し落ち着いてきたかな、という印象ですが、一時期はどこにいっても「あれ?これはもしかしてピリオド?」ということが多かったように思えます。
ブリュッヘン、そして、他にピリオドの演奏者といえば、ホグウッド、アーノンクールなどがあげられますが、彼らパイオニアたちの演奏がそれほど魅力にあふれていたということなのですね。
しかしこのピリオド、最初の頃はキワモノ扱いで、音楽業界だれもとりあげようとしなかった。
そんな中でブリュッヘンは、私財をなげうっての「18世紀オーケストラ」の設立を行ったのです。
なんとしてでもこの音楽を伝えたいというパッションが、彼を慕う名手たちを、そして、世の中のクラッシックファンの心を動かしました。
「18世紀オーケストラ」のファーストレコーディングであるベートーヴェンの第一番交響曲にはその鬼神のような気迫があふれ、聴くものの魂をゆさぶらずにはいられません。
リスクを伴い、誰もが不可能だと思うところに、本当のチャンスがある。
ブリュッヘンを見ているとそんなことを感じずにはいられません。
チャレンジする心。
伝えたいという願い。
いつも燃やし続けていられたら、と思います。