オルタナティブ・ブログ > 永井千佳の音楽ブログ >

ライフワークとしての音楽を考えていきます

天才のための1万時間は本当に必要なのか?

»

どのくらいの時間かは数えていたわけではないですが、とにかくやり続けると、ラインを超えるところがあります。
今までどうしても思い通りにできなかったところが、あるときから面白いようにできるようになる。楽しさがやっとわかってきたと感じることができる。
これが多分1万時間ではないかと思います。
 
マルコム・グラッドウェル氏の「天才!成功する人々の法則」でも書かれている、天才にとっての1万時間というのがあります。
 
確かに、1万時間は「プロフェッショナル」としては絶対的に必要な時間ではないかと思います。
 
中村紘子さんの著書「ピアニストという蛮族がいる」に興味深いことが書かれていました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

世の一線で活躍している演奏家たちは、もちろん例外もあるが、その殆どの人は十五、六歳に到達した時点ですでに演奏家としての個性や魅力を発揮し始めている。例えばアシュケナージがショパンコンクールで2位を得たのは、彼がわずか十六歳のときであったし、アルゲリッチがブゾーニ・コンクールに優勝したのも同じく十六歳だった。その頃の彼らのレコードを聴いてみると、もちろん人間としての若さや音楽的未熟さと言う点はあるにしても、既にそこから発散される音色や弾きグセ、あるいは語り口というようなものは、まぎれもなく現在の彼らと全く同じものであるのに気づく。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・

さらにあのホロヴィッツについても「彼の演奏のピークは20歳前後だったのではないか。火を吹くような豪華絢爛たる演奏が、叶わざるものこの世になしとでもいうような若く強靭な肉体に合致したとき想像を絶するような迫力で聴く者を巻き込んでしまったことだろう。」「カーネギーホールで、60歳をわずかに過ぎたばかりのリサイタルを聴いたが最初の一音を聴くなり”ああ、我らがホロヴィッツも老いたり”と思った」と書いています。
 
ホロヴィッツの若い頃の名演も、生まれ持った鋭い感性と表現力だけによって演奏されていたものなのでしょう。
 
そもそも天才とは、最初のスタート地点が普通の人とは違うもののようです。
その才能を発見し、努力で磨きをかけなければならないのが天才なのではないかと思います。

「99%の努力と1%の才能」。
最後の1%の才能はやはり生まれ持ったものではないでしょうか。
芸術にとっての、この1%は計り知れないほど大きいと感じます。
世界の第一線には立てるのは、この1%を持つ数少ない天才だけなのです。
 
では、そうではないほとんどの人々はどうすればよいのか?
 
特に音楽に関しては、「音楽は人を育てるもの」だと思っています。人が成長する過程でなくてはならないものだと信じています。
その努力を続ける過程においてしかその人を美しく輝かせることは出来ないし、さらに言うならば1万時間を越えたところからが本当の勝負になるはずです。
 
あなたの能力を必要とするところが必ずあります。音楽は「天才でなければやってはいけない」ものではないと思っています。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する