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大震災に2度遭遇した名指揮者 関西のおっさん朝比奈隆

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指揮者の朝比奈隆さん(1908~2001年)は、1923年の関東大震災、さらに1995年、阪神・淡路大震災の両方に遭遇しています。
 
若い頃は、がさつだったことから「がさ」、その後は「おっさん」というニックネームで呼ばれて親しまれていたようです。
 
朝比奈さんの演奏は豪放磊落。
 
しかし、実際は大変細かいリハーサルをすることでも知られ、オーケストラの各パートごとに弾きにくいところを何度もさらなおし、メロディ以外の地味で目立たない中の音をしっかりと弾かせ、楽譜に書いてある通り忠実に演奏します。
他の指揮者がよくやるような、イマジネーションによる楽譜の変更などは一切ないのです。
 
しかし、その愚直なまでの練習の結果、最後舞台の上では、骨太で重厚な音楽が鳴り響き、目をつぶっていると日本のオーケストラが、まるでドイツの名門オーケストラのように聴こえてきます。
 
それが朝比奈さんのすごいところです。
 
阪神・淡路の直後、朝比奈さんがシューベルトの交響曲「ザ・グレート」を東京で振るチケットを持っていました。
その時、朝比奈さんが神戸にいることは知っていたのですが、無事かどうか分からず、心配で音楽事務所に電話をしたほどです。
 
 
しかし、朝比奈さんはやってきました。
 
 
地震のときは在宅しており「おう、今回はよく揺れるのう」と言い、駆けつけた知人に悠然と酒をすすめたといいます。
神戸の自宅から9時間かけ脱出、そのまま東京に向かったそうです。
「一度限りの舞台で、私の生涯の想い出」と後日語っています。
 
演奏が終わると全員がスタンディングオーベーション。
オーケストラが引き上げ、舞台から誰もいなくなっても、お客さんのほとんどは帰らずに拍手を続けています。
鳴り止まない拍手で、最後に朝比奈さんが一人舞台に現れます。
 
「オオー!」とホール中が揺れるようなどよめき。
 
なんとカッコイイ87歳。
 
当時の私は、まだまだ朝比奈さんの本当のすごさは分からなかったかもしれません。
しかし、地震に遭遇してもいない私たちが、逆に勇気をもらっていました。
 
私の音楽原体験がここにあります。
 
朝比奈さんがもしまだ生きていらっしゃったら、お礼を申し上げたい音楽家です。

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