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ライフワークとしての学びを考えます。

チャイコフスキー・コンクールで入賞してもレストランで皿洗い

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音楽事務所は、演奏家を判断するとき、その演奏はもちろんですが、どのようなお客さんが来ているかというのを見るそうです。
本当のクラッシックファンが聴きにきているかどうか。
 
しかし、そんなファンとは今一体どのくらいいるのでしょうか。
 
海外から帰国し、華々しいリサイタルデビューを飾った若手ピアニストでも、「母親がピアノの先生をしている関係のお客さんがほとんどなの。」と言っていました。
ピアニストとしてやっていくにもある程度の地盤が必要だということです。
 
日本では、数人の限られた演奏家を除き、演奏会のほとんどは演奏家の関係者が聴きに来ているというのが現状だと思います。
 
客質で最も多いのが、お弟子さんとその関係者です。
弟子は、先生の演奏会ともなると、かなりのチケット枚数を関係者に配ります。
だから、お弟子さんが多ければ多いほどホールは人でうまるということです。
 
しかし、いくら有名演奏家であったとしても、ポピュラーに比べるとやはり常にコンサートに来てくれるようなファンは少ないのです。これがクラッシック音楽の現実なのです
仕方のないことかもしれません。
どんなに力があったとしても独奏者としてやっていくのは困難を極めることは変わりないと思います。
 
中村紘子さんの著書、「チャイコフスキーコンクール」にこのようなことが書かれていました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
チャイコフスキーコンクールで入賞したアメリカの或る男性ピアニストは、現在でも妻子を養うために日常はナイトクラブのバーテンダーとして働いている。ジャズピアノも弾けるのだが、強力なユニオンの存在のため、ちょっとアルバイト、という訳にはいかないのである。
(中略)
(チャイコフスキーコンクールに)入賞した米国のウォルフラムは、つい最近アメリカ国内のローカルコンクールで念願の一位をようやく手に入れたが、優勝後彼が喜びと共に思ったことは、これでこれからはレストランの皿洗いをしなくても生活していけるようになるかもしれない、ということだったという。
 
     ・・・・・(以上引用)・・・・・

なぜこのようなことになっているか?
クラッシック業界側にも問題はないだろうか?
「人が来ないの」と言う前に何か出来ないだろうか?
「分かる人だけが聴けばよい」と思っていないだろうか?
 
私は、「ホールがうまらない」ということや優秀なピアニストが皿洗いをしなければならないことを憂いているわけではありません。
こんな素晴らしいもの、心が豊かになるものに気がつかない人が多いことのほうが大きな損失なんだと思っています。
クラッシック音楽はもっと身近なものになり得るのです。
 
誰かがやってくれるだろう。何とかなるだろう。
そう思う前に、専門家が、誰かが、小さくてもその一歩を踏み出さなければならないと思います。

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