「歌詞の意味をわかって歌っていますか?」日本語でも意外とわかっていないという意味
作曲家の中山晋平(1887年~1952年)さんをご存知でしょうか。
「シャボン玉」「カチューシャの唄」「てるてるぼうず」「東京音頭」など、数多くのヒット曲を作曲した流行作家でした。
彼の代表作の一つ「ゴンドラの唄」を合唱団で練習しています。
黒澤明監督の「生きる」で志村喬が歌っていた歌と言ったら覚えている方も多いのではないでしょうか。
この詩の中で「いざ手をとりて かの舟に」とあります。
先日の練習で、男声が歌っているのを聞き、、
「歌詞の意味をわかって歌っていますか?何のことか分からずに歌っているのを聴くのは恥ずかしいですね」
と指揮者の先生がおっしゃっていました。
昔、今のように温泉マークのような場所がなかった時代の話です。
川に浮かんだ船はそのような場所だったそうです。
そしてその後の歌詞はこうです。
「いざ燃ゆる頬を 君が頬に」
という、頬と頬を寄せ合っているという、大変美しい場面。
ここでは、この曲の中で最高音である、高い「ソ」の音が出てきます。
熱っぽく情熱的な気持ちが、歌詞と旋律両方によって表現されていますね。
以前、音大を卒業したばかりの頃の私は、ワーグナー熱にかかっていました。
ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーは、「楽劇」という大掛かりなオペラの作曲家です。
どうしても彼の作品が弾きたいという思いは募るばかり。しかし、主なピアノ曲がなかったため、ワーグナーの義理の父でもあるピアニストのフランツ・リストが編曲した「トリスタンとイゾルデ」より「イゾルデの愛の死」を弾くことにしました。
この曲で、イギリスの先生のレッスンを受けたときに同じようなことを言われたのを覚えています。
「あなたのピアノはラブリーですが(なぜかイギリス人はほめるときラブリーと言う)、これは愛の高揚の中で死ぬ曲なんですよ。」
トリスタンの後を追って死を選ぶイゾルデが、3時間以上もかかる長い楽劇の最後に歌う歌。
死への憧れを恍惚となって歌うイゾルデに宗教的なまでの高揚感を感じさせ、全てをある種のカタルシスへと誘います。
「生きる」の志村喬も、ブランコに乗って人生の最後に「ゴンドラの唄」を歌います。
私は、この映画を見たとき、なぜか「イゾルデの愛の死」を思い出して仕方なかったのです。