「私がやりましょう」 本当のプライドとは 本当の高貴とは
イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860年~1941年)。
ポーランドのピアニスト・作曲家・政治家・外交官。第1次世界大戦後に発足した第2次ポーランド共和国の第3代首相でもあります。
父親はポーランド貴族で、経済学者でしたが、反ロシア革命に参加したとして逮捕されます。当時3歳であったパデレフスキは、そのときロシア官憲から受けた屈辱を生涯忘れませんでした。
このときすでに愛国者としての魂が宿ったのではないかと思います。
それまで、ピアニストとして誰からも相手にされなかった彼は、28歳でパリでのデビューリサイタルが奇跡の成功をおさめ、その後アメリカでも大成功。一躍世界的人気ピアニストとなるのです。
しかし、英・仏・独・露の4ヶ国語を自在に操り、的確に物事の本質をとらえ、気品ある容姿と洗練された物腰、そして類まれなカリスマ性を持つパデレフスキを、周囲がほおっておくわけがなく、次第に政治の世界へと足をふみいれていくこととなります。
ピアニストとして頂点にあった54歳のパデレフスキは、ポーランドの独立のため、立ち上がります。
ポーランド独立キャンペーンを開始し、アメリカ内にて義勇軍を作り、邸宅などを売り払って義捐金をポーランドに送ります。「独立を勝ち取るまではピアノを弾かない」と決心するのです。
そして1918年ポーランド独立宣言。
パデレフスキは首相兼外相に就任。
「私が一日中練習しなかったとしたら、聴衆にそれが分かってしまうでしょう」とまで言っていたパデレフスキですから、首相になることがどういうことか、十分承知の上だったのだと思います。
ヴェルサイユ会議で、フランスの政治家ジョルジュ・クレマンソーに「ピアニストとして有名だったあなたが首相だなんて、ずいぶんな転落ですね」と言われたということですから、彼の人気がいかに高かったか分かります。
ピアニストとして最高の名誉を手に入れ、演奏によって十分に人々を幸せにしてきたパデレフスキですが、祖国ポーランドのことを思うといてもたってもいられなかったのだと思います。
貴族の息子として生まれ、国のために自らが率先して犠牲をはらう。
「ノブレス・オブリージュ」"Noblesse oblige" 高貴な人間が自覚する義務。
そして「21世紀においては、"高貴な人間が自覚すべき義務"という意味から、"恵まれた人間が自覚すべき義務"という意味になっていくだろう」と田坂広志さんは、著書「未来を拓く君たちへ」の中で書いています。
この世に生まれてきた意味、そして自分に与えられた役目という意味を、深く考えさせられます。