言葉の持つパワーを信じる
鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲「箱根八里」という歌をご存知でしょうか。
譜面に書いてある歌詞、というのはひらがなで記載されています。
たいていの日本歌曲はひらがなでも意味が通じることが多いのですが、この「箱根八里」は日本人の私たちでもほとんどわかりません。
例えば「かんこくかんもものならず」
漢字に変換すると、「函谷関も物ならず」。
これは函谷関という水墨画に出てくるような中国の険しい場所なのですが、そういうところも物のかずではない、と言っています。
また、「ようちょうのしょうけいはこけなめらか いっぷかんにあたるやばんぷもひらくなし」。
「羊腸の小径は」となるのですが、これは羊の腸のように曲がりくねった細い道のこと。
「一夫関」は一人の兵士、「万夫も開くなし」は何万の兵が来ても通ることはできない。つまり、曲がりくねった細い道で、一人の兵士が守りにつけば、何万の兵が攻めてきても落とすことが出来ないような要害である、と言う意味なのです。
2010年10月9日、合唱団コール・リバティストに東京混声合唱団のテノール歌手、志村一繁先生をお招きしての練習がありました。
「言葉の持つパワー感というものを表現する上で、箱根八里の歌詞の意味はぜひわかっておいたほうがいいですね」
とおっしゃいます。
日本人なのに、この曲を意味も分からずに歌っているケースが多いのです。
またこの日は「ゴンドラの唄」も練習しました。
これは、「箱根八里」「赤とんぼ」と並んで、老人ホームで演奏すると喜ばれることが多い曲です。涙を流しながら聴いてくださる方もいます。
「ゴンドラの唄」は詩の内容に「命短し」とあるのですが、歌っているほうが、少し気後れしてしまうくらいなのです。
わたしは、黒澤明監督の「生きる」という映画をつい思い出してしまいます。
俳優、志村喬が、ブランコに乗りながら歌う、あの名場面。
命というろうそくの火が消える寸前に歌う、「白鳥の歌」のようなシーンでした。
しかし、私たちは、曲は知っていても、原風景としてあるわけではないので、ついつい旋律だけを美しく歌ってしまいます。
それだけではない、哀愁と美しさと何かを秘めた感じ、旋律線の美しさだけではないものを表現することが必要ではないかと思っています。
日本人として、言葉の意味を吟味し、言葉のパワーを信じたいですね。