よく走る優秀な馬とは 競走馬は鞍をつける前が勝負
音大のピアノ科を卒業しても、なかなか自立して生活できるほどの収入は期待できません。
練習時間も確保しなければならず、アルバイトを入れることも出来ませんでした。
そんなとき、知り合いから「土日のみで、簡単で良いアルバイトがある」と紹介されました。ただし関係者の紹介がいります。
仕事は、府中競馬場での開催日、1~3着までの競走馬がドーピング検査のためにレース後検査室に戻ってくるまでの監視役です。
馬券は買いませんが、馬が好きだったので、スターホースを間近で見ることができると思い、やることに決めました。
まず、レースが終わるタイミングに間に合うように馬を迎えにいきます。
レースが終わると馬はゼッケンと鞍をはずします。そうすると馬はどれも同じに見えてしまうのです。異常なまでの熱気と興奮に包まれ、その空気に呑まれると、どの馬が自分の担当なのか、よほど冷静でいないと見失います。
馬を見つけたら、厩務員と馬に検査所まで約700メートルほど付き添って歩きます。
1日3~4レースは担当するので、往復で結構な距離を歩くことになります。
他のスタッフは、ほとんどが獣医学部の乗馬クラブの人たちでした。
彼らは馬に慣れていて、どの位置について歩くかなどよく分かっています。
馬は、とても人を見る動物です。
わたしが慣れていないと分かるのでしょうか。
「馬の背後に立ってはいけません」と言われて、極力離れて立っていても、性格の悪い馬はわざわざ蹴りを入れてくるような馬もいました。危機一髪避けましたが、蹴られていたら大怪我をしていたかもしれません。
また、彼らは歩きながらトイレをします。馬ばかり注目して足元を見ていないと大物を踏んでしまい大変な思いをしたこともしばしばありました。
G1を勝つような馬は、たいていとても穏やかで、落ち着きがありました。牝馬に気を取られることもありません。
装鞍所で鞍をつけると、目つきが変わり、静かに気合が入ってくるような感じを受けます。その様子は、双葉山が「未だ木鶏たりえず」と語ったことを思い出させます。木鶏とは木で造った闘鶏のことで、鍛えられた闘鶏が木彫りの鶏のように静かであったことを言っているのです。
検査所の職員の方が、「その日、馬が走るかどうかは、鞍をつける前が大事ですね。鞍をつけるとパドックでは皆良く見えてあまり分からなくなりますね。」と言っていましたが、実際見てみるとその通りだと思いました。
中央競馬に来るような馬は、一流の調教をされていて、鞍をつけると闘志がみなぎり「さて走るぞ」という感じになります。身体も一回り大きく見え、一層ハリと輝きが増し、どの馬も素晴らしく見えました。
また、厩務員が怒鳴るような馬は、実際あまり走らないように感じます。
優秀な馬は、厩務員がほとんど付き添っているだけ。短い言葉を優しくかける程度です。これは、教育にも通じるような気がしました。
馬は繊細な動物です。
競走馬には胃潰瘍が大変多いそうです。
やはりレースや調教のストレスがあるのでしょうか。
これから、年末にかけてG1レースが目白押し。
この時期競馬のニュースを見ると、馬に囲まれながらアルバイトしたことを懐かしく思い出しています。