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巨匠同士夢の共演とはそうそう上手くいくものではない

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ソリストタイプとアンサンブルタイプ。演奏家は大体この2種類に分かれると思います。
ソリストタイプでも、人に合わせることが上手くアンサンブルも出来る人はいます。
 
ロシアのピアニスト、リヒテルはバリバリのソリストタイプ。一過言持つ芸術家。
しかし、もともとオペラの伴奏ピアニスト出身ということもあるのか、人と共演することは嫌いではないようで、思ったより様々な演奏家と共演しています。

中でも、ヴァイオリンのオイストラフとは気が合ったようで素晴らしい録音を残していますね。
ただ、バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925年~)とはあまり上手くいかなかったようで、リヒテル自身は「難儀した」と言っています。
ディースカウは、あのリヒテルに「自分より先に出ないでほしい」と要求します。
リヒテル夫人も「二人ともはっきりした性格だから、そう簡単には折り合いがつかないのよ」(「リヒテル<謎>」)と後に語っています。

ディースカウとリヒテルなんて、ファンからするとなんという夢のような組み合わせ。
しかし、大物同士になればなるほど、自分の音楽観が強く確立されているので、目指す音楽の方向性が違っていると両者譲り合わず、なかなか上手くいかないものなのです。
結局、ディースカウはジェラルド・ムーアという良きリート伴奏者(歌の伴奏スペシャリスト)を得て、人類の宝のような録音をたくさん残してくれました。
 
ベルリン・フィルの指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンも共演者を選んでいるようです。
 
リヒテルとも共演していますが、それはリヒテルがまだ西側で有名ではなかった頃のこと。リヒテルは、カラヤンの表現しようとする、完全で耽美的に美しく流麗な音楽とは正反対の音楽家なので、かなり激しいぶつかり合いがあったのです。
 
カラヤンのおかげでスターダムに登った演奏家もいます。
カラヤンの秘蔵っ子といわれたドイツのヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムター(1963年~)。
カラヤンは彼女をなんと13歳でベルリン・フィルにおいてソリストデビューさせました。カラヤンの手厚いサポートのおかげで、ムターはその後、立派に大器としての花を咲かせています。ムターはカラヤンに育てられた音楽家だと思います。
 
そしもう一人忘れてはならないのが、カラヤンお気に入りのヴァイオリニスト、クリスチャン・フェラス(1933年~1982年)。
 
一時期のフェラスはカラヤン専属ヴァイオリニストのような感じでした。もともと繊細だったフェラスのヴァイオリンはカラヤンの要求に合わせて、どんどん華やかな音楽へと変化していったのです。
そして、ヴァイオリニストとしてはこれからという42歳にして引退。ストレスによる飲酒癖から心と身体はボロボロでした。13歳から演奏活動をしていたフェラスは、とうとう消耗しつくしてしまったのかもしれません。1982年、49歳にして自らの命を絶ってしまうのです。
 
しかし、13歳からカラヤンと一緒だったムターはよく消耗しませんでした。
ムターは、フェラスと同じ道を歩まぬよう、カラヤンとは適度な距離を置くように気をつけていたと言います。
 
カラヤンが悪いわけではありません。
芸術家同士の共演は、そもそも力があればあるほど正気の沙汰ではないエネルギーでのぶつかり合いになります。
音楽的な方向性が合えば、これはもう掛け算式に凄い演奏になる。
そうでない場合、力が互角であれば双方引かずに火花を散らすか、どちらかが合わせるか、または消耗するしかないのです。

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