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圧倒的に技術が揃うか、それとも猛烈に気持ちが揃うか、合唱組織はそのどちらか

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2010年9月19日文京シビックホールにて、第65回東京都合唱コンクール一般部門が開催されました。
このコンクールは、9月12日は中学生部門、9月18日は大学、高校、職場部門、9月19日は一般部門と、3日間に渡って行われます。
 
今回、一般部門A(8名以上32名以下)、B(33名以上)の演奏を聴きました。昨年も聴きに来ていたのですが、昨年同様大変なレベルの高さ感じました。
 
本場ヨーロッパでの国際コンクールに入賞するような団体や、他のハイレベルなコンクールでも入賞経験がある団体、そしてもちろん、このコンクールで毎年入賞するような常連団体が一同に集まります。
いわば、ここに来れば日本合唱界のレベルが分かり、ここから世界の合唱界が見える、と言っても過言ではないのです。
そんな中、最後まで聴いてみて思ったことを書いてみたいと思います。
 
綺麗で上手、ピッチも完璧でさらに音楽性もある、というだけでは一位は取れなくなってきている、と感じました。
 
今回Aグループで圧倒的な力を見せ付けて全ての部門での総合一位になった18人の精鋭たち、harmonia ensenbleについては9月24日のエントリーでもすでに書きました。技術的な安定度に加えて、全員の声質がピーンと一つに揃っているのが強かったと思います。似たような声の人が集まったのかもしれませんが、徹底的に純度を高める追求度がずば抜けていました。この声にピタリと合った選曲、Stephen Leekの「コンダリラー滝の精霊」、Eric Whitacreの「お前の手にユリを残して」もその声質を際立たせていたと思います。これからの合唱の新しいスタイルを確立しつつあるように思いました。
 
そして、もう一つBグループの一位、創価学会しなの合唱団。
80名の合唱で、曲は三善晃の「男声合唱のための王孫不帰よりⅠ」でした。男声合唱の最高峰といわれ、まず普通の団体では手に負えない曲。"王孫を歌う”ということだけでも関係者は身を乗り出すほどなのです。
ピアノが出てくるところまでのアカペラ部分が難関で、譜面だけ見ていても、一体どんな曲になるんですか?というほど。
それをここまで形にしてきたところは素晴らしいと思いました。
全員が身を震わさんばかりの没入ぶりで演奏され、宗教的な高揚感が曲から立ち上り、ホール全体が一種異様ともいえるカタルシスに満たされたのを感じました。これがまさに天才、三善晃が狙っていたところなのだと思います。その瞬間「ああ、これは持っていかれた」と思いました。
 
10代の頃から、純粋な発声法の訓練を受け、合唱話法(表現方法)を学び、それこそ合唱のエリート教育を受けてきたであろう人達。彼らがそのまま大人になって合唱をして、一部の隙もなく、ケチのつけようがない団体が、さらに強い個性を持ち、120%の渾身の気合で演奏する。
そこまでして始めて一位を獲得出来るのだと感じました。
 
さらに全体を見て、金賞から銅賞まで、入賞できる団体というのは、簡単に言うと二つあると思いました。
 
1つ目は、声が揃っていて、完璧な綺麗さで純度が高い演奏。
2つ目は、声は揃っていなくても、気持ちが猛烈に揃っている演奏。
 
このどちらかだと。
ここが中途半端だと評価は難しいと感じました。これは、コンクールのみならず、オーディエンスを前にした普通の演奏会にも通じることだと思います。
 
授賞式でピュアそのものに歓喜する様を見て、本当に努力したのだなあ、と感じました。 
プロのようにお金や仕事がもらえるわけでもなく、ただ純粋に音楽のために賭けている人々がいる。
この場に居合わせたことにさわやかな幸福感を覚えてしまうほどでした。

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