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聴衆の一人として聴くのと当事者として聴くのとでは大きな差がある

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2010年9月19日、文京シビックホールにて第65回東京都合唱コンクールがありました。
合唱人ならば知らない人はいないコンクールです。
しかしこの東京大会、かなりのハイレベルで、東京大会から全国大会に出た団体は必ずと言っていいほど上位入賞を果たすのです。
 
私が指導を務めているコール・リバティストは一般部門A(32人以下の団体)の参加。創立4年で、コンクール初挑戦でした。この舞台に乗ることができるなんて、よくここまで来たと思いました。
我々の前には昨年の全国大会金賞、イタリア・セギッツィ国際合唱コンクール第1位の菊華アンサンブルの演奏がありました。優勝候補のすぐ後という厳しい演奏順で、皆がとにかくいつも通りの演奏ができるよう、祈るような気持ちで舞台にあがりました。
目標を持って練習に臨んだ成果でしょうか。7月に演奏した合唱祭より、かなり上達したように思えました。今現在の力だったらベストな演奏だったと思います。
 
昨年は、聴衆の一人として聴きに来ていたのですが、今回はコンテスタントとして、他団体の演奏を聴きました。
 
特に印象に残ったのはharmonia ensenbleという10人ちょっとの混声合唱団の演奏です。
課題曲のアカペラ宗教曲は、100人でも余裕で乗りそうな舞台を上手に使い、丸く円になって歌っています。少人数をこぢんまりと見せない工夫が感じられました。
また、自由曲はシアターピースで歌っていました。客席の通路などに演奏者がまばらに立ち、ステージのみならずホールの空間全体を活用して演奏するのです。残響豊かなホールの個性を最大限に生かした音響効果があり、よく研究していると思いました。合唱でよくある隣の人の音に助けてもらうことができないので、一人一人がよっぽどしっかりしていないと出来ない方法です。
コンクールでこんな大胆な手法をとる合唱団は初めてみました。

この合唱団、なんと指揮者がいません。
ニューヨークを拠点とする小編成アンサンブルオーケストラ「オルフェウス室内管弦楽団」のようです。
オルフェウスがなぜ成功したか、その大きな決め手は「少人数精鋭の組織」であったからなのですが、まさにこれを合唱で再現されたかのようでした。
この話は、ビジネス書「オルフェウスプロセス―指揮者のいないオーケストラに学ぶマルチ・リーダーシップ・マネジメント 」に詳しく書かれています。
 
予想通りharmonia ensenbleは審査員全員一致の圧倒的一位。そして全ての部門の総合一位でもある全日本合唱連盟賞も受賞。昨年は銀賞だったのですが、努力してものすごく成長されたようです。全国大会での活躍が期待されます。
 
他も本当に皆さん上手で、コンクールというよりコンサートを聴いているような演奏。
ピッチが正確であるとか、きちんとハモっているとかは、もう出来て当たり前。これからはどういうコンセプトでどういう意思を持って表現するか、が問われてくるように思えました。
 
我々は残念ながら入賞できませんでした。しかし、審査結果を見る限り、まっとうで公平な評価をしていただいたと思っています。各審査員の評価も透明性をもって公表され、全てにクリアーで納得がいきます。
 
コンクールのあと、他の団体の演奏も聴いたのでしょう。団員さんたちが「もっと練習したい」と言っていました。
単なる聴衆として受身で聴くのと、コンテスタントとして積極的に聴くのとでは、鑑賞の深みが違います。
コンクールを目標に練習して上手になり、さらに他団体の演奏が砂に水がしみこむように吸収される。受けるのと受けないのとでは何十倍もの違いがあるのです。
 
その日、「悔しい」という言葉が一回も聞かれませんでした。でもきっと心の中にしまっているのでしょう。
もし「悔しい」と思ったならば、その気持ちをものすごく大事にしたい。
マイナスな気持ちかもしれないけれど、自分の感情からでた自分の可愛い子供の一人として「悔しい」をぎゅっと抱きしめてほしい。次の年のこの日まで、持ち続けてほしいと思うのです。

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