音楽も富士山も9合5勺からが正念場
萩原英彦作曲「光る砂漠」。この曲の難しいところはハーモニーの複雑さと美しさにあります。
作曲家萩原英彦は、日本的な音楽にフランス音楽のエッセンスを込めた人。ドビュッシーの印象派にも通じるほどの洗練された和音と日本的な美を格調高く表現しています。
伴奏部分の素晴らしさは数ある合唱曲の中でも最高クラス。仲の良かったフランス人ピニスト、巨匠アンリエット・ピュイグ=ロジェのためにこの伴奏を書いたと思われます。
もう一つこの曲の特筆すべきところは、音楽と日本語との密接な融合にあります。それがある種の凄みを生み出していると言ってもいいと思います。
音楽と詩が一心同体となっていて、「フランス的和音センスを理解した日本人」という限られた合唱団が演奏して始めて成功するものと考えます。
このような天才的日本人の作品を、額縁に飾られて遠くにあるものとしてでなく・・・作曲家が亡くなったあとにも生命力をもったものとしてこの手に預かることができる。音楽をする者としての幸せを感じています。
7月3日、私が指導を務めている合唱団、コール・リバティストに、東京混声合唱団のテノール歌手、志村一繁先生をお招きしての練習を行いました。
「光る砂漠」より「再会」と「ふるさと」です。
この和音作りを、パーツ、パーツで分けながら練習しました。指導する方も受ける方も辛抱です。まさに職人仕事。このような練習をする指揮者は職人タイプと言われ、いい演奏を繰り広げる方が多いように思います。
「どんなに音量が上がったとしても、今作り上げた和音の響きを崩さないで。その和音の中で響き豊かに作ってください。音が美しいことのほうが絶対重要だとボクは思っています。」
「ふるさと」で後半、この曲で最大のクライマックスに、8小節かけての長い長いクレッシェンド(だんだん強くする)があります。
「このクレッシェンドは途中で息切れしないように。一昨年富士山に登ってきました。途中、もう死ぬかと思いました。高山での酸欠ってこんな状態になるな、ということを感じました。それでも一歩一歩進まなくてはいけない。6合、7合、8合、9合・・・とあり9合過ぎたところで、『9合5勺』というところがあるんです。頂上はそこまで見えているんだけど、『まだだよ、気を抜いてはだめだよ』という意味だと思います。
音楽のクレッシェンドの途中も、ちゃんと計算していきましょう。ちゃんと上まで行くための、水とか酸素を持っていくんです。」
「9割のところをもってまだ半分とみなせと良く言われますが、それと同じ。途中のところで絶対息切れしないように。
そして、なおかつその先にまだ残っているわけじゃないですか。このクライマックスに入ってから、最後まで、エネルギーを途切らせないように持って行きましょう。」
山というのは、頂上が見えてから正念場ですね。疲労もピークに来ていて、酸素も薄い。「ああ、まだかな、まだかな・・・」と思いながらの一歩一歩は実際よりも長く感じられます。
「クレッシェンドというのは等加速度運動だと思っています。大きくなるのはなるべく後まで我慢して。最後にウワッと大きくなるほうがクレッシェンド感がでます。そして、歌い手からいってそのほうが疲れにくいというのもあります。ぜひ、ちょっとこらえるということも勉強してください。」
「やはりこの曲は大変なんですよ。絶対疲れてしまう。一杯一杯になってしまうと本当に厳しくなってしまうので、必ずどこかで自分の中でのインターバルというのをとってください。」
音楽も人生も山登りと似ているところがあるのですね。