作曲家の頭で鳴っている音と実際演奏される音にはギャップがある
萩原英彦作曲の合唱組曲「光る砂漠」。
最終曲「ふるさと」の冒頭にある「ふるさとは ただ静かにその懐に わたしを連れ込んだ」という一節。
「その懐に」から「わたしを連れ込んだ」の部分は、男声だけの合唱に女声のアルトという低い音域を加えています。
東京混声合唱団のテノール歌手、秋島光一先生は、
「作曲家としては、男声合唱でそのままいきたかったはずです。
しかし、声域的に男声では高すぎてしまう。
そのため、作曲技法上よくあることですが、女声の低いパートを加えることにしています。」
とおっしゃいます。
「指揮者のフルトヴェングラーは、ベートーヴェン作曲、第九交響曲の第4楽章において、チェロとコントラバスだけで奏でる、あの有名な歓喜主題を、『ベートーヴェンはここの部分をきっとコントラバスだけでやりたかったに違いない』と著書に書いています。」
「ベートーヴェン時代の楽器のせいもあると思いますが、コントラバスは音程が安定しにくい、ということと、コントラバスだけだと音が小さすぎるということもあって、スコアでは、チェロを同時に演奏するように書かれています。
フルトヴェングラー指揮、バイロイト祝祭管弦楽団の第九では、第4楽章の歓喜主題の出を、聴きとれないくらいの最弱音で演奏しています。それくらいフルトヴェングラーはあのテーマを小さく演奏したかったのでしょう」
第4楽章、長い長い沈黙のあと、本当に、かすかに、今まさに生まれてきたように、演奏される歓喜の主題。これほど弱い音なのに強烈に印象付けられる演奏はありません。
その後にくる爆発的なエネルギー、狂気のようなスピードで駆け抜ける終結部分。
この1951年バイロイトでのライブ録音は、ベートーヴェンの第9演奏において、いまだに誰も及ばない人類史上最高の演奏だと思っています。
オーケストラにしても、合唱にしても、楽器や声の都合で、作曲家の本意ではないけれども、作曲技法で表現のつじつまを合わせている部分があります。
特に、ベートーヴェンのような革命児は当時の楽器ではさぞかし物足りなかったのではないかと思われます。
交響曲第3番「英雄」では、肝心のテーマを当時のトランペットでは吹けない部分があり、仕方なく途中から木管楽器に引き継いでいるのです。
しかし、現代の指揮者はトランペットで最後まで演奏するようにしています。
ベートーヴェンの創造性は当時の楽器の性能を超越してしまったのですね。
現代にベートーヴェンが生きていたら、さぞかし喜んだのではないでしょうか。