だまっててもわかるでしょう? 日本語の美は語感にある
萩原英彦作曲の「光る砂漠」という合唱組曲があります。
その第一曲、「再会」。
「誰もいない 校庭をめぐって 松の下にきたら 秋がひっそりと立っていた」
若くしてこの世を去らなければならなかった詩人、矢澤宰の詩の一節から始まります。
この節を合唱だけが歌い、ピアノ独奏に引き継ぎます。
その引き継ぐところが、情感豊かなニュアンスで重なり合うのです。
歌はなごりおしく、いとおしく、もっと感じていたい。
ピアノはその響きのニュアンスを優しく抱きしめるように。
ものすごく凝った響きとそこから醸し出される豊かな情緒。この冒頭部分、いかに作曲家が魂を込めて書いたか良く分かります。フランスのドビュッシーに匹敵するかそれ以上のものを感じます。
2010/6/5私が指導を務める合唱団コール・リバティストの練習に、日本で数少ないプロ合唱団、東京混声合唱団の現役テノール歌手、秋島光一先生をお招きしました。
「『古池や蛙飛び込む水の音』良くご存知かと思います。自然の状況を歌って、それだけを言っている。外人的にいうと、『だからなんだ?』なのです。『とっても感動した』などの部分は言わないわけです。これが日本語の非常に美しいところです。」
「『だまってても分かるでしょう?』という日本人だからこその文化がある。
単一民族だから、とか狭いところに住んでいるから、とかいろいろな説があるかもしれませんが、『私の心はとっても感動しましたよ』と書かなくても分かり合えるところが美しいのです。」
「この合唱部分の終わり方には、とても日本的な美しさを見ることができると思います。」
「萩原英彦さんの作品で『冷たい 北風が』という歌詞があります。
『冷たい』の『つ』、『北風が』の『き』を丁寧に言って欲しいのです。
そうすることで、北風の冷たいニュアンスが強調される。」
「『きれいだね』と言うときの『き』と『きたないね』と言うときの『き』。
日本人ならこの違いは当然分かります。
後者の『き』の響きで『きれいだね』と言うと皮肉に聞こえますね。
言葉とは、語感とはそういうものだと思います。」
「外国語の曲はそれを分かって歌っているのだろうか?
それを考えると身につまされますね。」
外国人には真似できないような、日本人だからこそ、表現できる世界があります。
「だまっててもわかるでしょう?」という美。
この美がいつまでも日本人の心に宿り続けるといいですね。