分かっているつもりで見えていないこと
昨日、知人のピアニストと会って話していました。
「S学園付属音高3年のピアノ科なんだけど、副科で打楽器が上手な子がいてね。
大学は打楽器で受けた方がいいよ、って勧めてるんだ。
だけど、母親が難色示しているんだよね。
『ピアノをやらせたくて音大付属に入れたんです』『ウチお金ありませんから』って。
お金がないってね・・・つまり、国立(芸大)ってことを言ってるわけなんだけどさ。
基礎練習も嫌がって弾かないし。
芸大行きたいのに、高校3年でショパンの練習曲一曲もやってないんだよ。」
「えっ・・・もう一年切ってますね。」
「そうなんだよ。試験に出る課題曲のレベルに行ってないってことでしょ?
親は、芸大芸大って、現実を理解できないみたいなんだ。」
しかし、当の高校生はどう思っているのか、気になるところです。
本当に打楽器で進学したいのかどうか。
これから何とかならないかと思いましたが、練習嫌いということで、状況は厳しそうです。
ピアノは音数、手数が多く、受験ともなるとちょっとしたミスも許されません。
どんな才能のある子でも、物理的練習量が必要です。
知人と「ピアノは大変だよね・・・。」
と思わず顔を見合わせてしまいました。
世界で一番子供を愛する気持ち、子供を高く評価したい気持ち、子供に期待する気持ち、自分の夢を託したい気持ち・・・親の愛とは深いものなのですね。
特に音楽は早期教育が大事なため、幼いときから親が手をかけています。
そのため、親子の結びつきが強いケースが多いのです。
きっと、かわいいわが子に対する思い込みが先入観になって真実が見えなくなっているのかもしれません。
強い思いがあるからこそ、願いはかなうのだと思います。
しかし、難しいことかもしれませんが、一呼吸おいて現実を客観的に見ることも、理想の実現には必要なことなのではないでしょうか。