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伝えるために 感受性と共感力、そして祈り

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私が指導を努める合唱団コール・リバティスト2010.3.6の練習日記です。
 
この日はマエストロでもある小屋敷先生のご指導でした。

萩原英彦作曲、矢澤宰作詞、組曲『光る砂漠』より「ふるさと」を練習しています。

「ふるさと」は30分ほどかかる組曲の最終曲。

21歳でこの世を去らなければならなかった矢澤宰が、病院のベッドの上から青い空をみつめながら、元気だった頃、田舎の野原を駆け回ったことを思い出し、大自然に帰っていく魂の象徴として「水を山に返した」と思うところで終わります。

この、心の有り様を表現することに、この曲最大の難しさがあると言っていいと思います。
マエストロより、表現についての教えがありました。

雲を表現するフレーズ。

「雲ってゆっくり動くでしょ。
ぽかんと空に浮かんだイメージ。
子供の頃、屋上に部屋が一つだけあるところでピアノのレッスンをしていた。
先生が来るまで部屋の横で寝っころがって上を見ると青い空に雲がゆーっくり動く。
ぼくはね、このフレーズでそういう風景を思い出すよ。
雲がうごいている様。
間接的な表現なんだ。」
 
まぶしさを表現するフレーズ。
 
「この『まぶしい』というところ。
君たちは力の抜き具合が出来ていない。
病的な味なんだよ。
青白く、柔らかい。
でも、弱くもなく、元気過ぎもしない。
これはね、アマチュアにはなかなか出来ない味なんだ。
歌って年月たった人でなくてはなかなか出ない味というのがあって、唯一、東京混声合唱団(プロの合唱団)は出来る。
しかし、プロでも日本語をしょっちゅう取り扱っていないとニュアンスを表現するって難しい。
ぼくは、言葉を生かすために『ああしてみて、こうしてみて』って言ってるでしょ?
こういう表現、君たちに出来るようになってもらいたい」
 
私たちは、ものすごく幸せなことに、こうやって合唱を歌い、元気で仕事をして、毎日があっという間に過ぎていく日々。
宰の、生への、青春への、強烈な憧れを理解するために、私たちの生活はあまりにもかけはなれているように思えます。

いくら箸の上げ下ろしから技術を教わろうとも、言われたまま歌っているのでは心が伴いません。
表現は技術ではないのです。

感受性と深い共感力。

そこに気がついたとき、音楽がまたさらに遠くに行ってしまったかのように感じます。
宰の言葉を自分の言葉に消化するまで、時間がかかると思います。

「ある牧師の導きにより、聖書に親しむようになった宰の祈りがこめられた宗教音楽でもある」と作曲家の萩原先生は語っています。
言葉と音楽の底には祈りの気持ちが流れているのですね。
苦難の十字架を背負った者だけに与えられたなんという高貴な魂でしょう。

真っ白になり、祈りの気持ちを持って全身全霊で音楽の声を聴き、少しでも近づけたとき、天国の宰と萩原先生が静かにうなずいてくれるのではないかと思います。

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